北日本で豪雨〜避難の準備

北日本を豪雨が襲った。特に北海道・青森・秋田では記録的な降水量になった。それに伴い、豪雨による被害も発生した。

(北羽新報より)

身近な所では、8月10日午後3時頃に三種川から水が溢れ出し、三種町で床上浸水7件・床下浸水6件が発生して、ひどい所では床上1m位まで達した所もあった。その後の片付けの様子がニュースで流れていた。三種川では度々増水する事があり対策工事をしていた様ですが、川幅が狭い事もあり中々抜本的な対策は無いのかもしれない。 また、五城目町の内川川と富津内川が8月13日午前0時半頃に氾濫し、床上浸水52件・床下浸水59件あった事がニュースで流れていた。

被害が大きくなった原因は、橋に流木等が引っ掛かり、流れが悪くなった川から道路側に水が溢れ出た事もあったのかなと思います。

秋田県の水害に先立ち、青森県鰺ヶ沢町の水害の様子がニュースで流れていました。町の中心部で起こった水害である事からその被害は大きかった様に思い、ニュースで流れる濁流の映像は衝撃的なモノであった。年に数回は訪れる鰺ヶ沢町で、この映像はどの辺だろう? 馴染みの店は大丈夫だろうか? という思いでニュースを見ていた。 鰺ヶ沢のショッピングセンター「パル」やマックスバリューなども被害にあった様子が映像に写っていた。お盆前で商品在庫がかなりあったと思うから、その被害は大変な金額であったのでは? と想像できる。と同時に、お盆までに正常に開店出来るのだろうか? という思いで見ていた。

自分にとって水害とは身近にある災害で、その危険性は常にあります。住んでいる中川原地区は海抜0mの土地で、昔は米代川の河川敷であった。明治時代になってから、この河川敷を開拓して農地が作られた。河川敷であった事から、雨が多く降るとすぐに冠水し農地が水没する事になっただろう。たぶん、農地を開拓する前にそれなりの堤を作ったと想像出来る。しかし母親の話では、小さな水害が度々起こったと言っていた。その後定住者が増え、秋木などの工場が出来て町になった事から、しっかりとした堤防が作られたのではないだろうかと思う。その堤防も、1972年7月9日に決壊した。

昭和47年・中川原水害
西日本各地では連日の大雨により85名の方が亡くなり、確認されているだけでも77名の安否不明者が出た記録的災害が発生した。1972年にも、7月3日〜7月15日まで雨が降り続いた事による昭和47年7月豪雨と命名された災害が起きている。中川原水害はその時に発生した。

堤防決壊後、堤防は以前より高くなり厚みも増し丈夫な堤防に作られた。 2007年9月17日に阿仁川が氾濫し、阿仁前田地区が水没した。能代は大した雨では無かったと記憶しているが、県北内陸部ではかなりの降水量であったのだろう。阿仁川などの支流が米代川の水位を上げ、米代川下流部にある中川原地区に避難勧告が出た。安全な場所で堤防を見ていると、1m位下の所まで濁流が迫り今にも堤防を超えそうな雰囲気であった。その日はそれ以上水位が上がらず何事も無く帰宅出来たが、それ以降から豪雨があると堤防の状況を確認しないではいられなくなった。

今回の災害の起きた原因は、北日本に停滞した前線の影響です。

8月8日から8月13日まで、ほとんど同じ位置に前線が停滞した。その前線に湿った空気が送り込まれ続け、局地的豪雨が発生し長雨となった。そんな状況に台風8号が発生して北上して来るという。最悪の状況になるのでは? とかなり緊張したが、結果的には台風が前線を吸収する形で停滞する前線は消えていった。誰にも喜ばれない台風ですが、この時ばかりは感謝したくなった。

今回の前線の停滞では、能代でも豪雨になったり弱まったの繰り返しで連日の雨になった。その結果 米代川の水位は上がり続けた。前線は相変わらず停滞する予報になっていたため今後も雨は降り続くと感じ、米代川氾濫に備えようと思った。取り敢えず濡れては使えなくなる物を一階から二階に移動し、通常使っている家電等は危機が迫ってから二階にあげようと思った。階段を何往復もし、一息ついた午後10時頃にようやく米代川の水位が頭打ちになり、少しづつ水位が下がり始めた。とりあえず、危機は脱した様に思えた。しかし前線の停滞は変わらず、今後も監視をしていく必要性を感じた。

11日 午前11時頃11日 午後5時頃

11日の米代川は増水しているが、まだ河川敷まで水が達していないし、水位は下降傾向にあった。

12日 午前7時頃12日 午後5時頃

12日の米代川は増水し水位も上昇傾向にあるが、まだ水は河川敷に達していない。しかし水位上昇は続き、午後4時頃に注意水位に達した。まだ注意水位であるが、水位の上昇は止まらない。

13日 午前5時半頃

少し心配になり朝早く堤防に行ってみると、水位は河川敷に達していた。

堤防を川の水が超えるまで、まだ3〜4m以上あると感じた。

能代では時々青空も見え、今後の回復に期待したが・・・

米代川は、危険水位の赤色に変わった。能代の水位は注意水位であるが、上昇傾向が止まらない。上流部ではまだ雨が降り続き、幾多とある中小の支流が米代川のに流れ込んでいるためだろう。午前7時半頃に堤防を通ったら、河川敷にあるベンチ(赤丸印)が水没していた。2時間程で、30〜40cm以上の水位が上昇した事になる。その後も水位の上昇は続いたが、米代川の水位が赤の警戒から黄色の注意水位に変わった。下流部の能代の水位は上がり続けていたが、上流部の水位が下がり始めたためだろう。能代の水位は午後0時頃になって5.33mになり、ここから水位の上昇は頭打ちになった。そして、その後は少しづつ水位が下がり始めた。米代川流域に雨の予報は出ていなかったため、ようやく安堵した気持ちになった。その後は、水位が下がり続ける事になった。

13日は墓参りに行く予定だったので、天気の回復が間に合って良かった。墓所には、天気を見て来たのか多くの墓参客がいた。 その帰り道、墓所近くの道路が冠水して通れなくなっていた。そう、米代川に流れ込む悪土川が氾濫していたのです。

悪土川は川幅が1m程の小さな川で、一見 用水路の様に見える。そこの水が溢れ出し、田んぼは水に漬かっていた。左側にある住宅地にも流れ込み、その裏にある道路が水没していたのです。

悪土川は雨が多く降る度に氾濫し、その改良工事が進められ現在も工事中です。この工事が進められて何年になるのだろう? しかし、一向に改善された様には見えない。

悪土川沿いにある家では、自衛策として家の周りを1m程のブロック塀で囲い、出入口には取り外し式の水門を作っている。ここに板をはめ込んで、敷地への水の侵入を防ぐ。

工事現場入口には看板が設置されていた。工事期間は、5月上旬から12月中旬までになっている。どの様な改良工事をしているか分からないが、この工事期間はおかしいと思う。梅雨や台風のシーズンが来る前に、工事を終わらせる必要があるのではないだろうか。そうなると、5月中に工事を終わらせるべきではないだろうか? と思った。完全な改善策がないため、取り敢えず「対策は行っています」という役所のポーズではないか? と疑ってしまう。悪土川と米代川の合流点にはポンプ場があって溢れた水を吸い出す様になっているが、自然の力に人の力は及ばないのだろう。

13日の午後からは晴れ間が出て、14日と15日の午前中までは天気が良く、米代川の水位は順調に下がり続け1m程まで下がった。もう水害の心配は無いと思い、高い所に運んだ物を元に戻す事にしました。一階にある自分の作業部屋では、濡れると廃棄するしかない本などを自分の作ったロフトに上げていた。

作業部屋にロフトを作る
保管されていた、ランクル用のルーフキャリアとリアラダーの活用策を考えた。いつかまたランクルと思い保管していたが、その可能性はなくなった。市販されている二段ベットをイメージして、ロフト風のベッドに作ってみる事にした。ルーフキャリアは以外に大きく、中々室内では・・

何に使うか明確な使い道の無いまま作った物ですが、今ではガラクタの物置になっていた。1972年の水害と同じ規模であればこのロフトまで水が達しないと思い、ガラクタを全て下ろして必要な本だけをこのロフトの上に乗せた。 水害の心配が消えたため本を元に戻そうと思ったのですが、この機会に本棚をロフトに設置してはどうかと考えた。小さな小さな書斎になる訳です。そして、それに合わせて不要な物は処分をして物の配置を少し変えました。

一番の難関は、本棚をロフトに上げる事。何十kgあるのだろうか? 体勢が不安定な事もあってロフトまで持ち上げる事が出来ない。結局、半分解体してロフトに乗せる事にしました。

ルーフキャリアの床はメッシュのため、裸足では足が痛くて立つ事が出来ない。そのため、床を張る事にしました。当初は板を張るつもりでいたのですが、厚手のダンボール箱があったのでそれを解体して使ってみた。何か十分に丈夫そうだったので、ダンボールの上に100均から購入したジョイントマットを敷いた。

最近はあまり本を読まなくなったので果たして使うかどうか分からないが、小さな小さな書斎が出来ました。たぶん本棚と本だけで200kg以上あると思う。この上に自分が乗ると300kgを超える事になる。自分なりに丈夫に作ったロフトであるが、この上で少し動くとロフトが揺れる。果たして、大丈夫だろうか? こうなると、今度は地震が心配になって来た。浅い考えだったのか? それとも、雑な仕事だったのか? たぶん、両方かもしれない。

本棚の移動に伴い、空いた場所へレコードプレーヤー一式を持って来た。元々あまりレコードは聞かなくなったのですが、懸垂マシンを設置した際に使い勝手の悪い場所に設置してしまった。そのため、配置換え以降は一度も使っていなかった。

ぶら下がり健康器を設置
意識的に運動を始める様になって1年半以上になる。ダンベルとスピンバイクによる運動を続けていたが、最近物足りなさを感じ、ベンチプレスをやろうと思った。ぶら下がり健康器にはバーベルスタンドが併設されている種類もあり、それを購入する事にした。

そこで、使い易い位置に設置し直した。

この機会に、スピーカーを4chにしました。

フロントスピーカーを作業台の土台として使ったので、スピーカーとスピーカーの間が狭い。そのため、ステレオとしての役目が無い様に感じていました。リアスピーカーを、ロフトの上に一台と反対側の棚の上に一台置きました。リアスピーカーの間は3m位ありました。 実際にレコードを聞いてみると、フロントスピーカー二台よりも音が広がった様に感じます。ただ、ロフトに設置したスピーカーは本棚の影に隠れている様な感じなので、何か少し音がコモっている様な? オーディオにはこだわりが無いため、レコードプレーヤーのドライブベルトには100均のゴム紐が使われている。

作業部屋にオーディオを設置
何か巷ではレコードプレーヤーが見直されてるらしく、急にレコードが聞きたくなった。作業台に昔使っていたスピーカーを使っているので、それにオーディオ機器をつなぐ事にした。ただ、しばらく使っていなかったため正常に作動するか?ターンテーブルのゴムベルトが経年劣化で・・

そんな事もあって、音に対して敏感な方では無いので気にしない。

15日また西から前線が伸びて来て、北日本各地では時々激しい雨が降っていた。それが翌日まで続き、午後からは能代で晴れ間も見える様になって来た。しかし今回の前線は停滞せず、走り抜ける様に去って行ったので各地で大きな被害は無かった様に思います。 お盆中に発生した集中豪雨、帰省した人達にとっては心安まらない休日だったかもしれない。

 

 

 

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