二分三厘

セキト に 二分三厘 というお菓子がある。

セキトは能代で一番有名な菓子店で、盆・正月の帰省時期になると土産物を目当てに客が集まる。 特に有名なのが 志んこ です。

何か行事があると、志んこを出して客をもてなす家が多いと思います。志んこは消費期限が一日で、店頭販売でしか購入できません。そのため遠くへの土産としては不向きな面もあります。
二分三厘というお菓子は、特に変わった所もなくどこにでもある餅入り最中です。

二分三厘という言葉が重要です。
野球等でも聞く事がありますが、この場合は寸法を表しています。二分三厘(約7mm)は、製品の規格です。能代市は木材の町として知られ、かつては東洋一と言われた秋木があり、多くの製材会社がありました。また、それに関連した会社も多かった。 能代市が 木都 と呼ばれる様になった事には、立地もあったと思います。 豊富にあった天然秋田杉が米代川によって運ばれ、河口に多くの製材会社が出来ました。そして、近くの能代港から製品を出荷していたのです。 しかし、豊富な天然秋田杉も無尽蔵ではありません。そのため植林をして拡大する必要があった。 世界遺産になった 白神山地 そして 青秋林道 も、この事が根底にあります。

製材会社では、天然秋田杉を使い色々な製品を作ってました。その中で特に多かったのが、二分三厘の厚さの板です。原木の良い部分は天井板など人目の付く所の物に加工され、それ以外は羽目板や裏地に使う板に加工していた。 二分三厘の板は、木造家屋に多く使われていました。 自分の家はかつて小割業を営んでいて、二分三厘という言葉をよく耳にしていました。二分三厘の事を、業界では二分三(にぶさん)と呼んでいた様です。 小割とは、原木から製材した際にでる端材から製品を作る事です。 自分の家は、端材から障子の骨(組子)を作ってました。その障子の骨の厚さが、二分三だったのです。

本当に良い物は地元でしか見る事が出来ません。天然秋田杉の良い物を使って作られたのが
旧料亭 金勇 です。 国登録有形文化財に指定されてます。

また製材会社の社長は、本当に良い物は売らずに自分の家に使用したのではないだろうか。 製材会社社長の家を訪問した時に、天然秋田杉の一枚板で出来た長い廊下を自慢してました。その他にも色々使われていたと思います。 能代市は二度の大火があり、昔の遺産が少ない。その中には、多くの社長の家も含まれていたと思います。

二分三厘のお菓子、袋は柾目の杉の板を表し最中は杉板の束を表しています。
セキトでも、二分三厘で能代の象徴を表したかったのだと思います。
今回 袋をマジマジと見て、初めて気付いた。

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