自動車学校の高校生

この頃、自動車学校の教習車が街中を走っているのを多く見掛ける。その多くは高校生だろう。冬休みから始め、今が仮免で路上に出始めたのだろう。学校を卒業するまで一ヶ月を切り、4月には能代を出ていく高校生も多い。それまでに全てを終え、免許を取得しなければならない。そのためには教習所も協力をして、高校生が優先されて教習が受けられる事になる。

能代山本には、三校の自動車学校があった。「能代自動車学校」「能代中央自動車学校」「能代モータースクール」である。

            (能代モータースクール)           (能代自動車学校)

この頃、街中で能代中央自動車学校の教習車を見掛けないと思っていたら閉校していた。

1〜2年くらい前かな? 能代自動車学校と能代中央自動車学校の経営が統合されたという記事を見た事がある。その後も両校の教習車を見掛けたと記憶しているが、いつの間にか一校に統合されたという事になるのだろう。経営統合をした時点で一校にするつもりでいたのかは分からないが、統合に至った原因は能代山本の少子高齢化だろう。 能代山本の小・中・高の学校の統合が進んでいる。最近では能代工業・能代西高が統合し、今年の4月から「能代科学技術高校」として始まる。

三種町でも「小中学校の再編整備計画」があり、2026年までに全てを終える計画になっている。

我が母校は、市役所の隣という市の中心部にありながら廃校になった。小中・高校に通う子供達が減っているのだから、必然的に自動車学校に通う人数も減る事になる。 仕事で車を使わない人であれば、通常は人生で一度しか自動車学校に行かない。あるとすれば、高齢者講習くらいだろう。 この先能代山本が何も変わらなければ、経営は増々苦しくなって行く事になる。 能代自動車学校と能代中央自動車学校はタクシーの様な地味な同種の車が使われていたため、同列の自動車学校だったのだろうか? そのため統合されたのだろうか? 一方の能代モータースクールは、両校と比べ何かが変わっておりハイカラな感じがした。能代モータースクールが民間企業で、両校は役所的な感じを受けていた。

自分が教習所に通っていた時の事を思い出すと、高校の時には免許を取りに行かなかった。誕生日が2月下旬であった事と、当時は自転車が好きで車が無くても不便を感じなかったためです。しかし、社会人になると車が無い事に不便を感じ始めていた。そのため、就職して2年目頃から教習所通いを始めた。職種は小売業だったので、平日は時間の調整を簡単に作る事が出来た。

自動車学校には4月頃から通い、10月に免許を取得する事が出来た。自動車学校の教習期間には期限があり、それを過ぎると今までの教習が失効してしまい授業料も戻ってこない。教官からはそれを心配され、卒業式では一番古株の卒業生であった。平日に時間が取れたとはいえ、働きながらの教習所通いは大変であった。それと、自転車通学であったため雨の日はパスをしていた。そのため、卒業が長引く事になった。

自動車学校には時々の出校であったが、見極めも仮免も順調に進んだ。しかし、悲劇は卒業検定に現れた。検定の日は雨で、雨の日には教習を受けていなかったため雨の日の運転は初体験であった。しかも、卒業検定では同じ受験生が後の席に同乗する事になっていた。教官以外に同乗者がいるのも初体験であった。自分は小心者であがり性なので、そういった状況に頭はパニックになり、心拍数も異常な状態になり正常心は失われていた。卒業検定はいつもの路上コースを走るためほとんど落第生はいないのだが、自分は不合格になって初めての挫折を味わった。

その挫折は、学科試験でも味わった。学科試験は能代でも月に一度?は出張で試験が行われていたが、秋田市の「運転免許センター」では毎日行われている。そのため、秋田市に行ってまで受験する方は多いと思う。自分も少しでも早く車に乗りたかったため、秋田市の運転免許センターへ受験しに行った。そこへ行くには、電車からバスに乗り換えて行かなければならない。しかし、そのバスの乗り方がよく分からない(今も苦手)。能代でも分からないのに、秋田市の都会ではパニックになった。とにかく周辺の人に聞きまくり、どうにか試験場に着く事が出来た。元々勉強は嫌いな上、酒を飲んでからの試験勉強が有効であったとは思えない。そんな勉強不足の事もあったが、試験場に付くまでに神経を使い切り万全では無かった事もあり、結果は不合格であった。

それから少しして、次の試験は能代の運転免許センターで受験する事にした。記憶では、午前中仕事をして午後から試験場に向かったと思う。昼飯も食べず、会社から自転車で試験場に向かった。しかしそこへは行った事が無く、場所も大体としか覚えていなかった。そのため途中で道に迷い、ギリギリ試験場に到着した。その時には自分は疲労困憊で汗だくになっており、受付からは「大丈夫ですか?」言われた。ただ、ラッキーだったのは、秋田市の試験場で受けた時と同じ試験問題であった事。試験問題には数パターンあり、それを順繰りで行っているらしい。問題を見た時は、急に目の前が明るくなった。 やっと全て合格し、運転免許証を得る事が出来た。

運転免許証を得る前に、すでに車は購入していた。親類から安く譲り受けた物で、運転は出来ないが毎日それに乗って運転を想像していた。

   

(日産 サニーエクセレント 1400GX)

最初 自分の車に乗る時には慣れが必要と思い、一時間早く起きて車のあまり走っていない早朝を出社前に少し街中を走った。

今 免許を取得している高校生も、進路によって多くの方が能代を離れる事になるだろう。都会に住む様になれば、車の必要性は無くなるだろう。それでも、ペーパードライバーにならない様に時々は車の運転をした方が良い。能代に来た時に車が無いと、不便どころか生活をする事が出来ないから。

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原稿を書いている最中に、消防車のサイレンが微かに聞こえた。確かめようとベランダに出ると、窓の外に黒い煙が見える。近いな!と思いながら、場所を特定しようと少し高台になる堤防へ見に行った。

そこには、消防車の赤色灯が光り黒い煙が上がっている(赤丸印)。そこは、自分の家から直線で2〜300m程離れている場所である事が分かった。親しい家が近くにあるため、火元の家を特定出来る所まで近付いて見る事にした。

風下からしか近付けないため、煙で前が全然見えない。それでもその家は火元の家よりも風上にあり、離れている事が分かった。

それから数時間後、また消防車のサイレンが鳴っていた。 再燃か? と思ったが、サイレンの音は遠ざかっていった。 衝撃的な火災事故が続いたせいか、今年はずいぶんと火災の起きる年だと印象付けられる。

 

 

 

 

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