家の周りには、3〜4年前まで大木が4本ありました。ケヤキが2本・イチョウが1本・アカシアが1本です。 それが道路の拡張のため、全て撤去される事になったのです。幼少の頃から大木だったので、ずいぶん古い木だったと思います。
住んでいる土地は開拓地です。
野口伊治郎(1828-1906)
明治18年(1885年)に開墾着手とありました。当時の風景は想像が出来ませんが、昔の話では少し雨が降ると洪水になったそうです。 ほぼ海抜0メートルであるため、河川敷の様な状態であったのではと思われます。開墾後に少し落ち着いてから神社を建て神木を植えたとしたら、生えていた大木は100年以上経っていたのかもしれません。
幼少の頃は、他にも数本の大木があったと記憶してます。それが、住宅の建築や住宅への影響を考えて伐採されました。そして、この4本だけが残されました。この4本を撤去するには、数日を要する大工事でした。木が大木であった事に加え、広く張った根を取り除く事が大変だった様です。
近くに自然があるのは良い事ですが、困る事もありました。
・秋になると、大量の落ち葉で掃除が大変
・鳥のフンが落ちてくるので、外に洗濯物が干せない
・カラスが巣を作ると、うるさいし人を威嚇する
・桜があった時は、アメシロの大量発生があった
・枯れ枝が落ちてくる。危ない事が何度かあった。 等々
良い事もある。
・真夏でも涼しく、憩いの場所になっていた。
・水害の際には、漂流物よけになっていたと思っている。
困る事の方が多いが、それが自然かもしれない。
ブナの木は保水力に優れているため、ブナ林は森のダムと呼ばれている。そのブナの特性が製材には向かなくて、大量に伐採されスギが植林された。その結果で森が崩壊し、水害が起きやすくなったといわれている。 ブナ林といえば白神山地が有名ですが、青秋林道の工事がなかったら、もっと広大なブナ林が保全されていたかもしれない。しかし、白神山地が世界遺産に認定されたのも、青秋林道の工事でブナ林の重要性がクローズアップされた事によるものもあると思う。
毎年、家の前にあったアカシアの花で竹の子の時期を知り、ケヤキの落葉で冬の近づきを感じていた。街に生えているアカシアの花を見て 「こんな時期なんだ」 と思った。
今は、何となく
「季節が来て、去っていく」 樹木は生活に必需であると感じる。
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