『楽泉』の破産〜260年の歴史に幕〜

能代山本には酒蔵が3軒ある。 喜久水銘柄の「喜久水酒造合資会社」・白瀑銘柄の「山本合名会社」・楽泉銘柄の「合名会社西村醸造店」です。その中でも西村醸造店が一番古く、宝暦年間(1751年〜1764年)創業となっている。次が喜久水酒造で弘化年間(1844年〜1848年)、そして山本合名が明治34年創業となっている。

その中の一蔵、西村醸造店が11月2日付けで破産開始決定を受け廃業をする事になった。西村醸造店では、楽泉銘柄の酒造の他に醤油と味噌も製造している。いずれの商品も、今後は目にする事が出来なくなる。 新聞記事によると、サッポロビールの代理店の業務も行っており、平成6年9月期のピーク時で約10億円弱の売上があった。しかし、平成20年にビール卸部門から撤退をし不採算を整理しても業績は回復せず、平成29年9月期の売上は約2800万円程まで落ち込んだ。負債総額は、約7390万円になる様です。

創業当時の能代は北前船が盛んに行き交い、米代川流域の物流の拠点であった。初代西村さんは繊維問屋であったが、良い水と米に恵まれながら地酒の無かった能代に酒造業を始めたらしい。当時は近江商人系の酒が広まっていた様で、能代にも北前船によって伝わった。西村醸造店は、秋田県では珍しい近江系の酒蔵の様です。

能代は二度の大火に見舞われた事から昔の資料等がほとんど残っていないが、古い土蔵の棟札に宝暦を読み取れる年号が記されているそうです。

現在のほとんどの酒蔵では、仕込み桶に密閉タンクが使われているという。それは、雑菌の侵入を防ぎ作業上も安全という理由からの様です。今では一部の吟醸酒造りに使われているだけの開放タンクを、西村醸造店では全ての酒の仕込みに使われているそうです。

昔からの酒造りを守り、一般酒でも吟醸酒並の手仕事で作られていた事になる。これほどのこだわりを持って酒を作っていた蔵が、廃業をしなければならなくなった訳は? 酒のディスカウントが当たり前になり、ディカウントストアー等への納品により赤字を計上するなどして収益が厳しい状況になっていった様です。

楽泉という銘柄はまだ飲んだ事がない。 どこかの飲み屋で出された事があるかもしれないので飲んだ事が無いというのはウソになってしまうかもしれないが、自分で意識して楽泉を購入して飲んだ事はない。そんな訳で、西村醸造店の事が記事に載った翌日に楽泉を買いに行った。しかしどこへ行っても楽泉は販売されてなく、その痕跡も見当たらない。酒担当の友人に聞いてみると、変な兆候はずいぶん前からあった様だ。ただ、それがいつ頃からだったかは教えてもらえなかった。自分が楽泉を飲まなかった訳は、父親が「楽泉は美味しくない。」と、言っていた事が大きい。自分が酒担当だった時も、能代山本の3蔵の中で楽泉が一番売れなかった。選挙の時には日本酒が付き物だが、楽泉は「らくせん」と読めるからと揶揄された話も聞く。

西村醸造店は、能代の老舗である。そして、昭和50年から昭和62年まで三期能代市長を務めた、西村節郎さんの出た名家でもある。 日本酒の消費量は、全国的に年々落ち込んでいる。能代山本も同様だろう。能代山本の酒蔵では、「喜久水」が一番売れていると思う。そして、全国にも販売網がある様な気がする。製品も新しい事に取り組み、こだわりをもった製品等も目にする事がある。 その他にも、イベントや広告も目にする事が多い。山本合名も同様である。しかし、西村醸造店からはその様な事を見聞きする事は少ないと思う。老舗というモノにあぐらをかいていた訳ではなかったと思うが、今回の破産の記事を見てその傾向を感じさせられた。

一年程前に、西村土建が倒産した。西村土建は終戦後まもなく創業した能代の土建会社で、能登家が代表を務めていた。能登祐一さんは、県議で県議会議長も務めた能代の有力者です。その能登さんが、去年の一月に亡くなりました。その後県議会の補欠選挙が行なわれ、能登祐一さんの娘が立候補をしましたが落選しました。西村土建には前々から怪しい噂を聞く事があったのですが、能登祐一さんが亡くなった事で会社を持ちこたえる事が出来なくなったのかもしれない。
西村醸造店と西村土建には、縁戚関係がないと思う。
しかし、自分はいつもごちゃに考えて間違えてしまう。

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