本当の終戦の日

8月15日に終戦の日を向かえた。しかし72年前の無条件降伏をした後の今頃は、国外でまだ戦争状態が続いていた。そこでは、戦闘・敗走・拘束・陵辱され、かつて無い程の犠牲者が出ていた。ソ連は日ソ中立条約を破棄し、8月8日に宣戦布告。それ以降、満州・樺太・千島列島・朝鮮半島に侵攻した。玉音放送が行われた後も、ソ連の侵攻は止まらなかった

先日NHKの番組で、樺太での戦争の特集があった。沖縄戦での惨状は何度も見聞きする事はあったが、樺太の惨状は今回初めて知った。 当時の満州や樺太には多数の日本人移民がいて、街や会社が形成されたいた。その背景にあるのは、昭和恐慌や冷害に苦しんだ北海道・北東北の人達の出稼ぎも多かった。 当時の樺太は「宝の島」とされていた。極寒の気候のため農地としては適さなかったが、漁業・林業は盛んだった様です。しかし、1930年頃には乱獲により漁業資源の枯渇、林業も乱伐により多くがハゲ山になったとされている。1933年頃から、石炭・石油の開発が本格化して行く。

ソ連が侵攻して来るまでは、景気の良かった街に見える。
1935年の国勢調査では
世帯数・65,542  人口・331,949人 とある。
ソ連侵攻の時には、本土への侵略を防ぐため樺太・千島に死守命令が出されていた。それは8月15日以降の事だった。その時ソ連は本土侵攻も考え、北海道も領土として取りたかった様です。その間、アメリカとソ連では駆引きもあった感じがします。 しかし、樺太・千島の攻略に手間取ったために本土分割までには至らなかった。樺太・千島死守の命令は無謀なものではあったが、けして無駄死ではなかった様に感じる。仮にこの戦闘で本土侵入を許してしまった場合、日本も朝鮮半島の様に分断されていたかもしれない。 生き残って取り残された人達も、シベリアに抑留され苦役に就かされた。そんな中で多数の犠牲者も出た。本当に戦争が終わったのは、いつだったんだろうと思う。

第二次世界大戦において、ソ連の戦死者が圧倒的に多い。それは、人海戦術によりゴリ押しして来た結果とされている。当時はスターリンの独裁という事もあったと思うが、人を人と思わない民族の残虐性もあったのかと思ってしまう。
ソ連侵攻により保護を失った一般市民は、ソ連軍・中国人・朝鮮人によって虐殺されている。その中の生き残りに「中国残留孤児」の存在がある。 経緯は知らないが良い方に解釈すると、残された子供を保護し自分の子として育てたと思っている。しかし「朝鮮残留孤児」という言葉は耳にした事がない。朝鮮半島で日本人は、皆殺しにされたのだろうか?金正恩の行動を耳にすると、それが朝鮮民族そのものなのかな? と感じる。

現在 北朝鮮ではICBMが問題化し、制裁決議までされた。しかしロシアと貿易は増えたと聞いた様な気がするし、ICBMの技術はウクライナから流れて来たと聞く。やはり、信用が出来ないのがロシアだ。
同じ問題を何度も蒸し返し、ゆすりたかりを繰り返す韓国もまた同様に感じる。

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