能代の祭り「役七夕」

6月21日に夏至を向かえ、夏が本格化して来る。夏になると各地で祭りやイベントが多くなるが、今年は新型コロナの影響でほとんどの祭りやイベントが中止になっている。6月19日より、新しい生活様式を取り入れながら自粛は全面解除されたが、3密が避けられない祭りやイベントであれば仕方がないのかもしれない。解除後も感染者は増え続けている。人との接触の機会が多くなれば、感染の拡がりは止められなくなってしまう。

秋田県では4月14日から新型コロナ感染者の報告は無いが、祭りやイベントの中止が相次いで発表された。能代市も例外ではなく、3密対策が取れない事と外部からの流入を防ぐためであろう。しかし、集客の少ない秋田県にとって、夏祭りで観光客を集めれない事は大きな痛手だと思う。北東北の祭りは、多くが夏に集中しているからです。

秋田県の場合、冬の祭りで有名なモノもある。「横手・かまくら」「湯沢・犬っこ祭」「角館・火振かまくら」「六郷・竹うち」「西木・紙風船上げ」は、全国的に有名だと思う。それらの祭りは全て内陸部で行われている。沿岸部で冬祭りがないのは、気象が影響しているのだろう。内陸部は気温が低く豪雪地帯になっているため、雪を利用した祭りが多い。しかし、沿岸部ではそれ程雪が積もらない。それは、日本海からの北寄りの風が強くて雪が吹き飛ばされるためです。雪は下から降ってくる?「地吹雪」という現象で、ひどい時はホワイトアウト状態になる。気温は内陸部程下がらないが、体感気温は気温以上に低く感じ寒い。そのため、沿岸部では冬祭りが行われないと自分は思っている。

能代の祭りは7月中旬の花火大会から始まり、7月26日、27日の能代の祭典、8月に入って「子供七夕」「天空の不夜城」「役七夕」と続く。そして、9月中旬の「おなごりフェスティバル」で能代の祭りは終わる。このおなごりフェスティバルは、今年で最後の予定であった。それが中止と決まった事で、何とも切れの悪い終わり方になってしまった。

祭りやイベントの中止は、それぞれの協議によって決められた。しかし、役七夕だけはどの様にするか中々決まらず、6月19日の協議で全て決着した。そこには、役七夕の長い歴史と伝統があったためだろう。

役七夕は津軽のねぶたと由来が共通しており、「坂上田村麻呂」又は、「阿倍比羅夫」の蝦夷征伐が関係しているという。だとすれば、西暦650年〜800年頃の事になる。はっきりと記録として残っているのは「代邑聞見録・1741年」に役七夕の事が書かれている。その当時は担ぎ七夕という物であったが、江戸時代文政(1818〜29)の頃から灯籠が大型化し、曳き七夕になったとされている。そして天保末期(1840年頃)に「大工・宮腰嘉六」が、名古屋城を模した城郭型七夕を作ったとされている。

役七夕の運行中止は4月下旬に決まっていたが、問題は中止にするか翌年に順延するかという事であった。そこには、役七夕の仕組みが関係する。

役七夕は、市中心部の五町組「大町組」「上町組」「万町組」「清助町組」「柳若組」による輪番制で運行される。その五町組は、各町が集まって構成される。例えば、今年は柳若組が当番であったが、柳若組は柳町・新町・出戸町・本町・新柳町・柳町新道・住吉町・栄町・後町の9町で構成され、今年は9台の灯籠が出る事になる。しかし組によって構成される町の数は違い、2町〜5町で構成されているため年毎に灯籠の出る数が違う。近年は、人口減少や不況によって出すのを見送った町もあった。

6月19日に対応が決まったが、その結果は来年に運行が順延され柳若組が行う事になった。その翌年以降は、輪番の順序で運行される事になる。だから今年の運行は、単純に中止という事になった。能代に住んで60年近くなり、七夕もよく見に行っていたが、年毎にに出る灯籠の数が違う事の意味がよく分からなかった。その事を先日関係者に聞いた所、その運行に神事や暦などは関係なく、組を構成する町内の数によって運行する灯籠の数が決まる事。ついでの話として、役七夕は旧暦の7月7日 つまり七夕の日に行われていた。新暦になり8月6日・7日に行われる様になった。役七夕は七夕の行事で、運行にはそれ以外の何事も関係しないという。

能代で古くから行われている祭りに、「御神幸祭」と呼ばれる日吉神社の祭りがある。祭神がかつて祭られていた、ひより山の御旅所にご神体が里帰りするという行事です。およそ、350年余の歴史があるという。5台の丁山を従え、ご神体を乗せた神輿が町をねり歩くものです。

「左より後町組(大黒) 上町組(鍾馗) 清助町組(恵比寿) 大町組(三番叟) 万町組(猩々)」

7月25日から丁山が町内を回り、26日の宵宮では柳町に多くの露店が出店する。27日が本祭で、神輿が御旅所を往復して祭りは終わる。丁山も5町組で組織されており、役七夕の五町組もここから発生した事です。

神輿は40人前後で担ぎ、交代しながら御旅所を往復する。それは密集・密接になるという事で、今年の神輿は中止になった。そこで、軽量な神輿を作り少人数で行う事になった。神輿は昔より軽くなったと聞いた事があったが、それでもかなり重い。新しい神輿は15kg程だというから、1/20位の重さになった事になる。

今年は7月26日に新しい神輿に御神体を収め、4人で神輿を担ぐ事になり、猿田彦行列は40人程の人数にとどめて御旅所に向かう様です。また、今年は丁山を従えないそうです。何か、リムジンに乗った大統領のパレードが、リヤカーで引かれて行く。 といった感じに変わった。

役七夕が運行される前の8月3日・4日に、「ねぶながし」という観光七夕が運行されていた。2013年よりそれが、「天空の不夜城」というものに変わった。

天空の不夜城とは、明治時代に制作された巨大灯籠を再現したものです。現在もそうだが、前よりも前よりも大きいモノと思う様になる。それにギネス記録というものが絡んで来るとなおさらだ。 明治時代になり生活や文明が豊かになり、灯籠が大型化する傾向があったのかもしれない。しかし、文明が発達する事により道路に電線が張り巡らされ、巨大灯籠では運行する事が出来なくなった。そのため、灯籠は電線の高さまで縮小されて現在に至っている。

再現された巨大灯籠は「嘉六」と名付けられた。先に出て来た、宮腰嘉六さんにあやかった名前です。 そして翌年には、嘉六より6.5m高い「愛季(あたご)」が建造された。愛季は、城郭型灯籠としては日本一の高さであるという。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました