少し前のTVで、すんずご納豆 が紹介されていた。
青森県で食べられているという事や、濁点が多い事からなまっていると想像が出来た。書いてある文字からは難しいが、声に出してみるとそれが何であるか分かった気がした。やはり、「すんずご」とは「筋子」の事であった。「すんずご納豆」とは、筋子と納豆を混ぜたモノである。 混ぜるとどんな味になるのかと思い作ってみた。
食べてみた所、特別な感動はない。自分が作ったのは筋子が少なかったせいか、納豆の中に筋子を噛んだ時に微かな筋子の味がする。筋子が多い場合は、その逆の味覚になるだろう。もしかしたら絶妙な比率があるのかもしれないが、どちらも好物なので、相乗効果が得られない以上その組合せのリピートは無いと感じた。
青森県は、筋子の消費が日本一だとされている。日々の食事の中で、その組合せが生まれたのだろうか?
「すんずご納豆」で検索した所、TV番組で紹介された様な事しか見つからない。「筋子納豆」で検索すると、「青森居酒屋・りんごの花」が見つかった。東京・四谷にある居酒屋で、青森県に関したメニューが多い。
「青森居酒屋・りんごの花」のホームページ
その中に、筋子納豆ごはん・¥780があった。他に、筋子納豆冷奴もある様です。そのページの中には「日本筋子納豆協会」なる秘密結社が存在し、会員が800人程いる様でした。また、「筋子納豆の歌」まで存在するらしい。TVで取り上げられたのは、青森県で日常的に食べられているというよりも、その居酒屋の話題性の方が大きかったのではないだろうか? と、感じた。 筋子納豆というのは居酒屋・りんごの花のオリジナル商品ではなく、青森県金木町出身「文豪・太宰治」が好んで食べていた事からメニューに取り入れたと思う。昭和12年に発表された「HUMANLOST」にはそれが細かく示され、その他の作品にも出て来る。太宰さんは、筋子と納豆が好物であったと思われる。納豆は昔から庶民的な食べ物であったと思うが、筋子はそうではなかったのでは? と感じる。
太宰さんが生きていた戦前に筋子がいくらで売られていたか知る事は出来なかったが、今から50年程前のオープニングセールのチラシに筋子が載っていた。 100g380円というのは現在とほとんど変わらなく、現在の筋子はほとんどが輸入品だ。戦前に売られていた筋子は、とても値段の高い高級品であったのではないだろうか? と、想像する事が出来る。
青森県金木に 「斜陽館」 がある。
斜陽館は、太宰さんの父である衆議院議員「島津源右衛門」によって1907年に建てられた。建物の規模から、かなりの名家である事が分かる。 その後1950年に旅館経営者に売却され、太宰文学記念館を併設した旅館として開業した。その旅館経営が悪化し、1996年に金木町に買い取られた。2004年に国の重要文化財に指定され、現在は太宰ミュージアムになっている。
30年以上前に太宰ミュージアムが旅館であった頃、友人と二人でここに泊まりに行った事がある。お金を少ししか持っていなかったので宿泊の値段交渉をしたら、布団部屋と思われる小さな部屋を案内された。「貧乏人でも、この部屋はいくら何でもなぁ〜・・」と思い宿泊をやめた事がある。今思えば、そんな部屋でも泊まっておけば良かったなぁ〜 と思った。今は宿泊をする事は出来ないのだから。
太宰さんの家はとても裕福であった事を知る事が出来る。 だから当時は、高級品であろうと思われる筋子を存分に食べる事が出来たであろう。しかし庶民は、筋子を正月や盆にしか食べる事が出来なかったのではないだろうか。「すんずご納豆」は、青森県民に昔から食べられたいた食事ではなく、居酒屋・りんごの花によって近年に広まったと自分は感じている。
秋田県では、筋子を「しじご」と言う。
たぶん耳では、「しじご」も「すんずご」も同じ様に聞こえるかもしれない。
口をあまり開けない北東北の方言やなまりは、文字で表現する事が難しい。
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