キャッスルホテル能代の閉館

キャッスルホテル能代が、8月末で閉館する事が決まった。

キャッスルホテル能代というよりも、「平安閣」と呼んだ方が馴染み深いかもしれない。すでに5月末で「宿泊部」と「レストラン部門」は閉じている。そこには新型コロナの影響が大きいと思う。 8月末には、「ブライダル部門」と「宴会部門」が閉じる事になった。

平安閣は1981年にオープンし、能代で式場・ホール・宿泊の出来る本格的なホテルは、平安閣とプラザ都だけであった。1983年の日本海中部地震によりプラザ都が宿泊部門を廃止し、能代で本格的なホテルは平安閣のみになった。 平安閣は2012年にリニューアルし、平安閣から「キャッスルホテル能代」に名称が変わった。ホテルを運営しているのは「へいあん秋田」という秋田市の会社だが、リニューアルした時に東京の会社?の資本が入ったと記憶している。その際に会社の方針が大きく変わり、ブライダル部門は廃止し葬祭部門だけを残すと記憶していたが、記憶が曖昧。 そして、別の場所に葬祭場が建設された。

今 思うと、キャッスルホテルとは別に、へいあん秋田が独自で運営しているのかな? と思う。

能代で結婚式を行う場合、平安閣とプラザ都で行う方がほとんどだと思う。それでもブライダル部門を廃止したのは、秋田県の少子高齢化が進んでいる影響だろう。秋田の中でも能代市はその傾向が大きい。そのため、結婚式よりも葬式に重点を置く事が、経営的に大事と決めた事だと思う。

平安閣の建つ前は、その場所に秋木のアパート(独身寮だったかもしれない)が建っていた。子供の頃にその前を通ると、大きなアパートだなぁ〜 と思っていたが、いつの頃からか人が住まない様になっていた。

かつて、中川原地区に秋木合板があった。

秋木は、明治40年に井坂直幹氏が木材会社3社を合併し、能代市に「秋田木材株式会社」を創立した事が始まりとある。秋木は東洋一の木材会社と呼ばれ、能代市も「木都」として栄えた。その後、構造的不況で合板業が不振となり1982年にその火は消えた。秋木だけでなく他の木材会社も同様で、秋田杉などを扱う銘木や特殊な技術を持った会社は残ったが、小さな木材会社は廃業する所が多くなった。 現在は秋田市に「新秋木工業」として存在している。

秋木の事を調べていた時、その当時の事が少し思い出された。確か、「段谷産業」が秋木を支援したと記憶している。支援出来るくらいなのだから段谷産業は大きな会社だったと思うのだが、2002年に倒産している事が分かった。秋木が不良債権になったのだろうか? 倒産の原因は、秋木と同じ様な事だったのかもしれない。

平安閣では、15〜6年程前に宴会場を増設している。 1〜2年程前からそこを改造し、「シャングリラ」というディサービスに変わった。

へいあん秋田は、今後 能代市で葬祭場とディサービスのみを運営することになる。少子高齢化の進む能代市では、それが確実な運営だと思う。

新しくブログを作る時、ヘッダーに能代の象徴を入れようと思った。しかし、しばらく考えたがどうしても思い付かなかった。際立ったモノがなく、木都という栄華にしがみつき、そのまま衰退したのが能代市だと思う。そんな所には、観光客や移住する人も少ないだろう。

キャッスルホテル能代で平日の客室の稼働率は分からないが、新型コロナの影響で多くのイベントが中止になり、見込まれた宿泊客の減少は大きかっただろう。そして、今後行われるイベントも全て中止になった。 新聞では建物の老朽化が閉館の原因と書かれていたが、宿泊客の減少が一番の原因であったのでは? と思った。

今後、ディサービスは続けて行く様だが、本館はどうなるのだろう?ディサービスやショートスティとして活用するのだろうか?

数年前に、森岳温泉にある「丸富ホテル」が倒産した。そのホテルは、和風で少し格式の高いホテルというイメージがある。そのホテルをディサービスやショートスティとして利用出来たら、温泉付きの贅沢な施設になると考えていた。 その後、そのホテルはどうなっているのだろう?  でも、よくよく考えてみると、そんな贅沢な施設を利用出来る人が能代山本にいくら程いるだろうか。

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