還暦祝いと厄祓い

他の地域ではどう行っているか分からないが、能代市では毎年合同で厄祓い・還暦祝いが行われている。数え年で、男性が42歳・女性が33歳、そして男女の60歳がそれに当たる。その行事は出身中学校ごとに行われ、能代市内の中心部では一中・二中・雲中が合同で行われる。その他の離れている地域の中学校は、その出身中学校ごとに行われている様です。一応お祓いは受けるのだが、一同に集まる同窓会の様な感じで成人式以来合わなかった人も多いかもしれない。

以前は毎年2月1日に行われていたが、平日では都合の悪い人が多かったのだろう。いつの頃からか、1月最後の土曜日に行われる様になった。しかしそれは地区ごとにまちまちで、今も2月1日に行われている所もある。 厄祓い・還暦祝いは旧暦によるもので、新暦に換算される2月3日の大晦日までに終わらせればいい様で、特に決まった日は無い様です。能代市では、2月1日に行う事に何か根拠があるのだろうか? 自分が42歳の時もそうだったし、自分の父親もその日だったと記憶している。ずいぶん昔から、2月1日に合同で厄祓いが行われていた事になる。

厄祓い・還暦祝いは、旧暦の基になっている中国の「十干十二支」によるものの様です。


後に十干十二支を基に「陰陽五行説」が発生し、それが日本にも伝来し陰陽道として広まった。厄祓い・還暦祝いも、陰陽道と関係があるのだろうか? 十干十二支によれば、60年で一巡し60歳になると新たに生まれ変わるそうだ。そのため、還暦祝いの時に赤いチャンチャンコを着るのは赤ん坊と関係がある。 昔はその姿を見るといかにも「おじいさん」と感じていたが、いざ自分がその立場になると、まだじいさんではない! という意識がある。

人にはバイオリズムというものがある。そのバイオリズムも、約60年で一巡するそうだ。人の体は、宇宙や自然と密着な関係があるのかもしれない。 バイオリズムは1900年頃に提唱されたものだが、十干十二支によって暦を作った中国三千年の歴史と文化は大きい。

合同還暦祝いは1月27日に行われた。自分も出席の予定であったが、少し前に風邪を引いたため欠席をした。後でお守りや記念写真が送られて来たが、同期生の写真を見て「50年近く経つとそれなりに変わるものだなぁ〜」と感じた。


送られてきたお守りの3点セットです。とりあえず、神棚に飾る事にしました。

その神棚の隅に小さな古い桐箱を発見した。 何だろう?と思い開けて見ると、お守りが入っていた。


弘法大師が何とかかんとかと書いてある。炭の様なお守りは、護摩の灰で作られた物である様な事が書かれている。いつ頃の物か分からないが、父親がお寺からもらって来た物の様です。だが、それが神棚にあるのはおかしいだろう。そのため、仏壇の方へ改めて安置した。父親も信仰心が薄かったせいか、何も考えないで置いたと思う。神棚の中では、弘法大師も居心地が悪かったかもしれない。

日本人の宗教観とはどういうものだろうか? ほとんどの方は結婚式を神前で行い、教会で行う人もいる。しかし、亡くなるとお寺で葬式を上げる。むしろ、お寺で結婚式を挙げる方が異様に思う。 いつもは仏様を拝み、初詣は神社に行く。そして、何か難事が起こると神頼みをする。仏様の誕生日は祝わないが、キリストの誕生日であるクリスマスにはパーティをする。変な宗教観だと思う。

クリスマスパーティの晩に仏様が枕元に座り
「オレの誕生日は・・・・・・」 と夢に出ないのは、
仏様が寛大だからかもしれない。

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