浅間製作所の倒産〜能代山本の経済

新聞上に、令和3年度「秋田県市町村内総生産」が公表されました。

 

県内25の市町村の内、7ヶ所がマイナス成長でした。能代山本では藤里町が0.1%のプラスでしたが、能代市・三種町・八峰町はいずれもマイナス成長でした。特に能代市はマイナス5.1%で、県内で一番の落ち込みでした。2年前の数字で、まだコロナ禍の影響や物価高・エネルギー価格の上昇などの要因もあったと思いますが、それはどこの地域も同じはずです。では、何が原因だったのだろうか?  昨年度から「洋上風力発電」「中国木材の稼働」という大きな動きがあったので、今年度からはプラス成長に転ずる要素はあります。今後は「水素エネルギー」関連もあるので、少しは明るい未来が見えるのかな?

気になる記事がありました。

 

三種町の看板製造・水耕栽培プランドの製造業の倒産。 これって、もしかして・・・・  「浅間製作所」? と、直感しました。 ので、調べてみました。

 

やはり、浅間製作所でした。 浅間製作所には、昔 少しだけお世話になった事がありました。それに関しては・・

浅間製作所
新聞を見ていたら、懐かしい会社「浅間製作所」の広告を目にした。かつてはカスタムバイクの製造・販売を行っていたが、広告を見るとその面影は残っていなかった。30年以上前、自分でバイクのカスタムやるため浅間製作所におじゃました事があった。そこで資材を少し頂き・・

現在の状況を見に行ってみると、やはり人の気配はありませんでした。 自分が浅間製作所に行ったのは、バイクに夢中になっていた1986年〜1987年頃です。その時は、現在の社屋の向かいに有りました。バイク屋でしたが、新車などは販売している感じではなく小さな修理工場の様でした。そこでバイクの修理やカスタムなどを行っていたのだろう。当時はアルミ加工でカスタム部品を製造していました。その技術が、看板フレームや水耕栽培プラントの製造に生かされていたのだと思います。

浅間製作所の概要を見ると、創業は1972年で設立は1990年になっています。自分が行った時にはすでに全国的に有名になっていたので、1990年に株式会社にして会社を大きくしたのだろうか? 北林兄弟の事故死によって、仕事の形態を変えなければなかったのは仕方のない事だった。ただ、それがどの時期であったのかは記憶にありません。

里山村の事については詳しく知りませんが、20年以上前に、以前 勤めていた会社に北林社長が講師として来た事がありました。講義の内容は覚えていませんが、里山村では蕎麦屋を経営している事を言っていました。たぶん、異業種多角経営に関しての講義であったのかもしれない。当時の経営陣の中に、そういう考えも少し見られた。 里山村の蕎麦屋は、能代市内にも店舗がありました。場所はイオン能代店の裏側で、金勇と八幡神社の間あたりです。

 

すでに店舗はなく、現在は渟城幼稚園の駐車場になっています。 人通りは少なく、その存在も目立たなかった。隠れた名店を目指したのだろうか? たまにその店の前を通っても、営業しているのかどうかも分からない存在でした。そのため、蕎麦屋が無くなった事も全然気付かなかった。浅間製作所の事で調べていて、そこが駐車場になっている事を初めて知りました。 浅間製作所のある志戸橋は、そば処として志戸橋蕎麦というブランドがあります。それほど有名ではないため、北林社長が手助けとして始めたのだろうか? それとも、社長の道楽として始めたのだろうか? その点は不明です。

ところで、なぜ会社名が浅間製作所なのだろう? 自分が思うに、北林兄弟は元オートレーサーだったのでは?

1955年〜1959年までの間に3回、群馬県の浅間山麓で「全日本オートバイ耐久ロードレース」が行われました。通称「浅間高原レース・浅間火山レース」と呼ばれていました。

 

日本製オートバイの性能向上を目的として、イギリスのマン島TTレースを手本として開催したとされています。もしかして、そのレースに参加したのでは? と思いました。 自分が浅間製作所に行った当時、ヴィンテージレーサー風のカスタムが多かった様に思います。また、事故で亡くなった時にはBMWの調整中であった様な? たぶん、修理もヴィンテージバイクが主であったと思います。その様な事から、会社名を浅間製作所にしたのでは? と、ふと思いました。

 

能代市の成長率はマイナス5.1%でしたが、倒産もいくつかありました。その中で大きかったのが・・

 

八峰町にあるゴルフ場「能代カントリークラブ」 2023年12月18日に事業が停止しました。負債総額は約7億5千万円で、民事再生法の適用を受けた営業再開について関係者と協議中との事。

 

能代カントリークラブは1964年創業で、県内3番目となるゴルフ場としてオープンしました。そして1972年に現在の18ホールになりました。ゴルフはやった事がないので分かりませんが、能代カントリークラブは意外と狭いのでは? と、航空写真をみて感じました。地図上で周囲を測ってみると、約2.5kmありました。しかし海岸線にあるため風が強く、中々難しく良いコースであると聞いた事があります。風が強いため雪が積もらず、他のゴルフコースよりも早く営業が出来たというのも能代カントリークラブの利点でした。 事業停止に至った理由は、バブル崩壊後のプレーヤーの減少。近年のコロナ拡大でさらに減少と、経営が厳しい状態になっていた。そこへ、去年の猛暑と断水が直接の原因になった様です。また、芝生が傷んだりコースの老朽化が進んで機能維持が困難になり、更新のめどもたたない状況であった様です。

ゴルフといえば、社長というイメージがあります。それだけ、一般人には縁のないスポーツだと思っています。基本的に会員が優先されるので、会員になるか会員と一緒にプレーするしかない。40年以上前の話になりますが、能代カントリークラブの会員証は入手困難な状況でした。昔の能代は木材業が好況であったので、その社長達の多くが会員だったと思われます。能代カントリークラブは狭いので、会員も多く募集出来なかったのかもしれません。そのため会員になるには、会員証を譲渡してもらうより方法がなかったかもしれません。ただそれは40年以上前の話で、近年の状況は分かりません。

能代カントリークラブ倒産の記事の左下に「製材の畠金銘木 破産手続を開始」の見出しが見える。同社は、1948年創業の老舗製材業者らしい。しかし近年では、ピーク時の1/6まで売上が落ち込んだ様です。2021年に近くで火災が発生し、類焼で一部焼失により事業停止になった。そして、その後も事業再開には至らなかった。これもまた、業績悪化にアクシデントが加わった結果でした。

2023年12月20日に「みちのく印刷所」が破産手続の開始決定。負債額は不明。

 

みちのく印刷所は昔、中和印刷所として中和通りにあった。その後は事業拡大のためか、社名を変えて社屋を昭南町に移転(うろ覚えの記憶なのでまちがっている可能性有)。 みちのく印刷所の件で検索していると、「東京都千代田区・富士印刷」「宮城県仙台市・ハヤシ印刷」破産が同じページに載っていた。デジタル化が進む中で、印刷業には大きな問題だと思います。折込チラシを出す所が少なくなり、自社のホームページや専用アプリに広告を出す所が増えた。企業内の文書や資料は、自社のパソコンやプリンターで簡単に制作出来る。そもそも、ペーパーレス化で印刷さえしなくなって来ている。年賀状も、ソフトを使えば自宅で簡単に出来る。これもまた、年賀状自体の需要が減って来ている。デジタル化が進めば、印刷は必要がなくなるのだ!

チラシ事情
新聞上で「ポスティングをやめます」というホーマックの広告が載っていたが、今後はチラシ配布をやめデジタル版一本で行うという事だろう。能代印刷の倒産は、その様な時代の流れによるものだ。自然保護の観点からすれば、紙のチラシは無用なモノかもしれない。

2012年に「能代印刷所」が倒産しました。同社は1894年創業で、能代で一番大きな印刷会社でした。10年以上前から、印刷業は構造的不況になっていたのかもしれません。

 

醤油と味噌の醸造元「マルチョウ・原田醸造店」が廃業する事になりました。近年の売上はピーク時の1/3程度まで落ち込み、店主の高齢化もあって事業継続が困難という事で廃業を決めたらしい。地元だけで消費されている醸造元で、慢性的に人口減少が進んでいる能代山本では今後の見通しが立たないと感じたのだろう。 ※マルチョウは、赤字で○の中に長が商標

マルチョウの「さしみ醤油」は一押しの商品で、まろやかな甘みのある醤油です。他メーカーの醤油の倍近い値段なのですが、コンスタントに売れていました。秋田県内では、他に類を見ない醤油だと思います。自分は刺身にしか使った事がありませんでしたが、たぶん煮物にも最適で、上品な味に仕上がりそうな気がします。ただ、煮物に使うにはもったいなくて使った事はありませんが・・・

店主は昨年の12月で閉店するつもりであった様ですが、常連客の要望で2月末に延期。2月に閉店広告を出した所、店に客が殺到し商品が完売。購入を求める声がやまなかったため、一旦店は閉店して再度 製造の準備に取り掛かった。商品が出来次第、また営業を再開した様です。 4月19日現在 まだ営業はしている様ですが、スーパーなどの小売店には出荷しておらず製造元でしか入手出来ません。たぶん、頃合いを見てひっそりと閉店するかもしれません。

原田醸造店は1937年創業で、現在の店主は二代目になります。息子がいる様ですが、先行きの不安から三代目を継がず別の仕事に就いたのだと思います。採算的にどうなのかは知りませんが、儲かる仕事ではなかったと思います。原田醸造店の廃業で、能代市の醸造蔵元は一軒もなくなる事になります。

近年、能代の老舗の閉店が続いています。

『東雲羊羹』186年の歴史に幕下ろす
熊谷長栄堂が、6月末で閉店する事になった。生産量に限りがあるため、もう予約分した販売されていない。日常的に食べる事はありませんでしたが、186年続いた東雲羊羹を食べる事が出来なくなる事は、やはり悲しい。

2023年6月末で「東雲羊羹・熊谷長栄堂」が、186年の歴史に幕を閉じた。こちらも、後継者がいなくて自主廃業でした。  もう何年も経ちますが「能代春慶」も後継者がいなくて廃業しました。能代春慶は春慶塗の漆器です。その起源は、佐竹家が移封になった際(1602年)に春慶塗の職人を連れて来たという説。延宝年間(1673〜1681年)に、飛騨の漆士・山打三九郎が移住して始めた説。と、ありますが定かではないらしい。それは、1949年の能代大火で石岡家に伝わる古文書が焼失してしまった事が原因。能代春慶は日本三大春慶塗に数えられ、秋田音頭にも歌われている伝統工芸品でした。

『楽泉』の破産〜260年の歴史に幕〜
西村醸造店が11月2日付けで破産開始決定を受け廃業をした。能代山本の酒蔵の中で歴史が一番古く、宝暦年間(1751~64年)創業となっている。当時は近江商人系の酒が広まり、能代にも北前船によって運ばれた。秋田県では珍しい近江系の酒蔵です。歴史の古い酒蔵がなぜ・・

西村醸造店の廃業には驚きましたが、こちらは他の廃業とは違い経営不振による倒産でした。

黒字経営であっても、後継者がいなければ廃業をするしかない。担い手不足で伝統工芸や町工場の技術が失われつつあります。それらの失われたモノは、回復が不可能となる事が多いと思います。それらはデーターで作られたモノではなく、人の感覚によるモノが多いと思うからです。そのため、伝わって来た職人技を再現するのは難しいと思う。能代春慶も若者で伝えようという動きがありましたが、現在も続いているのだろうか?

担い手不足の根本にあるのは人口減少だろう。その仕事を継続しようとする人もそうですが、人口減少によって需要が減ると供給量も減る事になります。そうなれば当然収入は減るし、採算割れになる場合もある。 能代山本はそれが深刻で、人口減少が止まらない。地元紙では毎月 人口動向の記事が載りますが、3月末現在で140ヶ月連続減少でした。以前は毎月の記事毎に連続減少が更新されていましたが、この頃は連続減少の事は書かれなくなりました。記事にする方でも、この数字に滅入るのだろうか?

 

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