長髪

♬僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったら・・・♬
この詞は、吉田拓郎さんの「人間なんて」というアルバムに収録されている「結婚しようよ」という曲です。


これは、最初に結婚した四角佳子さんに宛てた曲とされている。 そして今、自分の髪がこの状態になろうとしている。しかし自分は、何かを願うという様な理由はない。 吉田拓郎さんは自分のあこがれの人で、中学生の時から彼の曲のコピーに熱中するギター少年であった。年中歌を歌っているキリギリスの様な生活をしていたため、希望する高校へ行けなかった過去もある。

フォークソングはアメリカから渡ってきた音楽であるが、元々は民謡的な音楽であった。それが、人種差別やベトナム戦争等の社会問題に対するプロテストソングとして歌われる様になった。その頃日本は高度成長期で平和な国であったが、大学では安保闘争が起きプロテストソングが広まっていった。そのため、「フォークソング=大学生が見聞きするモノ」という認識があった。でも、「マイク真木・バラが咲いた」は教科書にも載っており、小学生の頃にハーモニカで吹いていた。また「赤い鳥・翼をください」は、中学生の合唱コンクールで歌った。フォークソングの中にはポピュラー的な楽曲も多かったが、全体的に取っ付きにくいモノであった。 そんな中で吉田拓郎さんは特異な存在であり、Jpopの元祖の様に感じる。

アメリカではフォークソングの中にヒッピー文化が混在し、フォークシンガーも長髪の人が多くなった様に思う。そのスタイルから、日本でも長髪の人が多くなったと自分は思っている。 フォークシンガーは古着を愛し、キレイでいる事を否定していた様に自分は感じた。それが、髪を伸ばし髭を伸ばす事につながったのだろうか。 現在のダメージジーンズは、その頃のファッションの影響だろうか? で、その頃の自分はどうであったかというと、髪を伸ばす事は出来なかったが、服は年中同じ様なモノを着ていた。それらがやがて、ボロ布の様になってくると嬉しさを感じた。その傾向は今もある。


この歳になると人目もあるので外では履かないが、家の中では履き続けている。破れた所にワッペンを付けて修繕をして履いていたが、根本的に生地が弱っていたため、修繕をした辺りからまた破れ出した。修繕をするのも面倒になり、履き続けていたら現在の姿になった。 長髪とこのジーンズを履いている姿は、当時の自分の理想の姿かもしれない。しかし、今ではこの格好で人前に出る事は出来ない。

長髪にしている理由は無いが、経緯はある。例年 寒くなる前に床屋へ行くのだが、行く機会を逃している内に寒くなった。寒い時期に髪を切ると風邪を引く事が多く、インフルエンザも流行していたため床屋に行くのを躊躇った。自分は見かけによらず、虚弱体質なのである。暖かくなって来たので「そろそろ行かなければ!」と思いながらも、元来の無精者である事から現在に至っている。
特に不都合はなく、暑さを感じたら行こうかと思っているが・・・・
「あぃ〜〜」 と、床屋からは言われそうだ。

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