7月25日より、祭りが始まった。御神幸祭と呼ばれる日吉神社の祭典は、祭神がかつて祭られていたひより山の御旅所にご神体が里帰りをするという行事です。 350年余りの歴史があるといわれており、祭りには5基の丁山と神輿が運行されます。
左より,後町組(大黒)・上町組(鍾馗)・清助町組(恵比寿)・大町組(三番叟)・萬町組(猩々)と、町組ごとに祭神が飾られています。 丁山は、25・26日に各町内ごとに運行されます。
26日の宵宮と27日には、柳町に露店が並びます。
夜店には子供の頃以降は行ってませんが、26日の晩が一番混雑をする様です。これほど露店が並ぶのは年に一回しかないので、楽しみにしてる方も多いかと思います。 一時期は的屋と言われる方々の締め出しがありましたが、その後はどうなったんだろう? その時期、どこだったかの露店に入った事があるが、一般の方々が店を出しており美味しくないと感じました。的屋の方々の方が、はるかに美味しい物を出していると感じた。
27日が本祭りになります。
日吉神社より神輿が5基の丁山を従え出発して、ひより山の神社跡に向かいます。神輿担ぎには、自分達の地区も日吉神社との縁で長年参加しています。30年程前、人手不足で頼まれて友人と一緒に初めて神輿を担ぎました。 それが、なんと重い事か!! 当時は体力に自信があったのですが、かつて経験をした事のない程の疲労感を味わいました。
自分達は往路を担当してます。そこには自分達を含め、70〜80名程が招集されます。参加者のほとんどは力仕事関係の企業の方々が招集されているのですが、身長に凸凹があるために重量がうまく分散されない事も、重さを感じる原因かと思います。 担ぎ方にはコツがある様です。しかし、寄せ集めで毎年人が変わる集団では、教えられてもうまく出来ない。 神輿には30〜40名程が張り付きますが、担ぎ棒が井桁の様だったらもっと楽になるのになぁ〜 と、思う事もある。でも、伝統だから変える訳にもいかないだろう。自分は肩が痛くなるのでタオルをクッションに使っているが、本当は禁止だそうです。しかし、その辺は黙認をされている感じ。
この重い神輿ですが、昔はもっと重かったという話を聞く。神輿と一緒に、はしごも持って歩いています。今は使ってませんが、昔は神輿の上に登る人もいたのかな? って思った。
(明治26年に奉納された、御神幸祭絵図)
日吉神社の神輿は六角形なのですが、この形は北陸地方に多いといわれています。この文化も、北前船によって伝えられたものだろうと感じられる。
終着の御旅所に行くには、急な坂を最後に登らなければならない。最後の休憩から、その坂を一気に駆け上る。丁山もその後に付いて登るのだが、ほんの少しだけ登って引き返している。昔は丁山も御旅所まで登ったのだろうか?今と変わらず、ポーズだけだったのだろうか? 登ったという話も聞くが、真偽は分からない。 昼前には御旅所に神輿を安置して、往路の仕事は終わりです。この後お祓いを受けて、お神酒と赤飯をいただいて終了です。 この神輿担ぎに参加すると、いくらかの手当が出る。それを会費にして、ビールを飲んで焼肉を食べるのが恒例になっている。渇いた喉にビールがしみわたり、それが何と美味しい事か!
夕方から、復路は清助町組が担当をして日吉神社に戻って来る。往路のコースとは少し違い、距離が長くなっている。しかし自分達の「ヘロヘロ感」とは違い、力強さを感じる。やはり 「なれ」 なのかなぁ〜って感じます。神輿の運行で、祭りは終わります。その後は、ねぶながし・役七夕へと続いて行きます。
祭りにはお酒が付きものです。神輿の休憩所にもお酒とポカリスエットがあるのですが、誰もお酒に口を付ける人はいない。
そういう時代なのかな? と感じた。
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