終戦の日と戦争の映像

8月15日に終戦の日を迎える。 先の戦争では300万人余りの戦没者が出て、毎年15日には追悼式典が行われる。 毎年この時期になると、戦争に関する映像などが放映される。戦後生まれの自分にとっては戦中・戦後の事など想像も出来ないし、市内には戦争の痕跡もほとんどが残っていない。そのため、映像や話でしか当時の事を知る事が出来ない。

先日NHKで 731部隊 の事が放映された。731部隊に関しては少々の事は知っていたが、正式名称は「関東軍防疫給水部本部」というらしい。

ここは生物兵器・化学兵器の研究・開発機関でもあり、そのための人体実験や実戦的使用を行っていた。テレビでは、戦後のハバロフスク裁判の音声が主な番組構成だった。裁判における証人たちの証言は、映像を見なくても目に浮かぶ程生々しい証言であった。改めて、その酷さを知る事となった。 731部隊には、大学の研究員などの医者を目指す一般人が多かった。その一般人が、なぜ狂気とも思える行動を起こすまでになって行ったのだろう。そこには、研究員としての好奇心もあったのかもしれないし、自分の理論の実証性を得る事のため未知の探求のための人体実験だったのだろう。研究のデータが得られれば、効果の確証を試してみたくなるのも人情だと思う。そのため、実際に細菌兵器が戦場や一般の部落などに使われた。現在の新薬の開発にしても、本当は人体実験をしたいと考えていると思う。その方が確実なデータが得られるから。

実験台にされた人達は中国人がほとんどで、匪賊と言われる人が多かった。そうした人達を使う事によって、研究員や実験を行う人にとってみれば「どうせ、死刑になる身」と考えれれて気が安らぐ面もあったのではないだろうか。しかし中には女・子供もいたり、捕虜収容所でも実験が行われていた様です。 ソ連の参戦により敗戦が近づいて来た頃に、施設は破壊され実験台にされた人達や資料が焼かれた。その様に証拠隠滅を図ったそうです。

これだけ酷い事をして来た人達だったが、戦後に731部隊幹部及び研究員は戦犯に問われる事はなかった。帰国した研究員は、医学界に貢献をして要職につくなどした。実験データを豊富に持っていたので、名医になれたにちがいない。最高責任者であった石井四郎は、研究資料をアメリカに渡し裏取引をしたという。その後、1959年まで生きる事が出来た。アメリカの研究者も、731部隊の研究資料はのどから手が出る程欲しかったと思う。731部隊の資料は、研究者がやりたくても出来ない研究データだから。 しかし、口実をつければなんでも可能な様な気がする。広島と長崎に原爆が投下されたが、研究者としては興味のあるデータが採取出来たのではないだろうか。戦争終結という口実を基に、人体実験を行ったと同じ事だと思う。二度と採取出来ない大きな実験データであっただろう。 そう考えると、731部隊の実験データは、後世に役立つデータであった可能性が大きいとも考えられる。

広島の原爆死没者慰霊碑には
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」 と刻まれている。日本国が戦争を始め、広島市民に多大な犠牲を強いた事への謝罪だろう。300万人余りの戦没者の中で、職業軍人はほんの少しだと思う。ほとんどが一般市民や徴兵されて行った人達だろう。
今、国際情勢が危うい時にある。しかし戦争になれば犠牲になるのは一般市民です。
何とか一部のオカシイ指導者だけを、抹殺出来ないものだろうか。

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