浅間製作所

新聞を見ていたら、懐かしい会社の広告を目にした。

今は分からないが、当時はバイクのカスタムやカスタム部品の製造・販売を行っていた。35・6年前頃から7年間位、バイクに夢中になっていた時期があった。当時乗っていたバイクが

             HONDA GB250 CLUBMAN

市販されている部品でカスタムを始め、自分で考えた部分は自作した。その時にお世話になったのが 浅間製作所 です。 当時はバイクのカスタムが流行っていたか知らないが GOGGLE  というモーター雑誌にカスタムバイクの記事が多く載っていた。その雑誌によく浅間製作所が載っていたので、全国的にも有名であったのではないかと思います。浅間製作所ではアルミを使った部品を作っていたので、アルミの端材が残っていないかと思い訪れた。アルミは加工がしやすいのでカスタム部品を作るには最適と思われたが、一般的には販売されておらずそのために訪れました。 当時は何も分からず行ったのですが、とても親切にしてもらいました。

工房にはカスタム用の SRX400 が置いてあり、気になっていた機種でもあったので眺めていた。そしたら「乗ってみるか?」と、言われた。 車で来ていたため、「ヘルメットを持って来ませんでした。」と答えると、「この辺は滅多に警察が通らないから」と言われ、ノーヘルで試乗させてもらった事があった。数分間試乗後、アルミの端材を数枚いただき家に帰った。

アルミの端材は、加工してメーターのコンソールパネルを作った。(赤線で囲んだ部分)タコメーターを外し、1メーターにカスタムした。メーターを車体に止めるステーは自分で作れないので、型紙を作って知合いの鉄工所に依頼した。かなり分厚い鉄板を切り出したので、ずいぶん丈夫に出来たと思う。あとは、ホームセンターでLEDライトを購入して電気配線をしました。 完成品を社長に見せに行ったら、よく出来ていると褒められた事があった。

浅間製作所は、北林さん兄弟で経営していたと記憶している。 浅間製作所には、宇崎竜童さん・根津甚八さん・その他の方々が来ていた事があった。バイクを購入していったかは分からないが、交流はあったようです。1987年7月8日に竜童組のコンサートが能代であったから、その時であったかもしれない。 いつ頃だったか、北林さん兄弟のどちらかの方がバイク事故で亡くなった。バイクの調整中に、防雪柵へ衝突した様です。調整中とあったので、たぶんノーヘルであったと思われます。バイクに関しては、亡くなられた方が中心で経営をしていたのかな? その後バイクに関しては話題にならず、今回の広告にもバイクに関する事は記載されていない。

GB250 CLUBMANは、山形県温海温泉の辺りで追突事故を起こし、前部全壊の重症を負った。幸い自分に怪我はなく、電車で帰宅し翌日に軽トラで回収に行った。その後のGB250 CLUBMANは、部品を買い集め2年程掛けてほとんどを自分で修理しカスタムをした。そのため、初めてエンジンに火が入った時には感動した。しかし、乗っていて何か違和感があった。オイル漏れをしていたのだ。良く見るとシリンダーヘッドに亀裂が入り、そこからオイルが吹き出ていた。もはや自分で直せる範囲ではなく、シリンダーヘッドの交換では高額の修理になるので廃車にした。 その後はロシアに行ったというが、消息は知らない。

現在はバイクに乗っていないが、興味は相変わらず持ち続けている。
浅間製作所の前を通る事は、今はもう無い。

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