今朝の新聞で、仮称 イオン新能代ショッピングセンター の概要が判明した。店舗面積は22850㎡で、当初計画より面積も専門店数も3割強程縮小され、平屋建ての店舗になる様です。それでも、県北では一番規模が大きいらしい。
計画に沿って市では、影響予測シミュレーションを作成した。
平成19年に発表された計画に沿った予測よりも、かなり減少した予測になっているが「誘致ありき」の予測になっている様で甘く感じる。 新店舗を誘致する上で、重要と思うのは流入人口だと思う。予測では2〜4万人となっているが、車で一時間圏内に同じ位の規模のイオンが2店舗ある。市の北部には大規模店は無いが、人口密度が低い。 自分が思うに、増えても数千人程度ではないかと思っている。 そうなると買上人口が減るので、全ての数字が低くなる。それよりも、市内地での食い合いになるので「地元商業への影響」の数字が増えそうな気がする。 そもそも、この予測は誰が立てたのだろうか? まさかと思うが、イオンに聞いたのではないだろうか?
子供の頃にデパートといえば「みつまる」と「丸〆」があった。その後1977年に本格的なデパート アイケー が出来た。一応は市内の「イシヤマ」と「菊宏」が資本提携をして出店をした様だが、ニチイ(マイカル)の資本がかなり入っていたのではないだろうか。その後アイケーから、トーホー(少しあいまい)→サンホーユー→ニチイ→サティと名前を変えながら営業をしていたが、マイカルの事業縮小により消滅した。 アイケーから変わった辺りから、イシヤマ・菊宏の社員が人事異動で不当な扱いを受けニチイの人に占められて来た様に感じる。そんな悪行の会社だから、倒産しても当然かな! と、当時は感じていた。でもそれは、内部事情を知らない外部の自分が感じた事です。
市内では大型店といえばアイケーだけだったが、当時は 大店法 というのがあって、中々出店が許可されなかった。 1981年にイトーヨーカドーを核店舗とする 秋木能代ショピングセンター の計画がだされた。能代商業高校に隣接する、秋木機械の広大な跡地がその場所になっていた。 市街地から離れている事もあり、当時はかなりの反対があったと記憶している。それと大店法の規制もあり、中々出店は進まなかった。 イトーヨーカドーの出店計画に地元の商店街などが危機感を持ち、1986年にジャスコ(イオン)に誘致を計画した。柳町商店街の一画にある羽後銀行能代支店(北都銀行)と、すでに移転済であった山本組合総合病院の跡地が選ばれ、1990年12月に 能代ショッピングセンター としてオープンした。 当然ジャスコも大店法に適用されたのだが、地元を味方に付けていた分有利であったのではないだろうか。
大店法は、1974年3月1日に施行された。 アイケーを作る時にも適用されたと思うが、地元の会社が主体に行えば許可も下りやすかったのではないだろうか。その辺もニチイは考えていたのかな? この大店法によりスーパーの出店は、審査基準ギリギリの150坪の店が多く立地する様になった。 その後アメリカなどの外圧により規制緩和が行われ、その辺りからバイパス沿いに出店が進み、街のドーナッツ化現象が進む事になった。 大店法は、2000年6月1日で廃止された。
今回、出店計画の概要が発表されたが開店時期は明記されていない。
能代市では飽和状態と感じる程店があると感じる。しかし同じ様な店が多く、必要と思われる店が少ない様に感じる。だから、かなりの買物人口の流出はあると思う。そういった事からすると、少しは流出人口が減るかもしれない。
正直、イオンはどこの店も同じなので魅力を感じないし、規模が小さくなった事でその魅力はかなり失われた。そう思う方も多いのではないだろうか。 今更ながら、イオンでない店だったら買物人口流入の効果があるかもしれない。
それは、秋田県・青森県・岩手県にない店
是非、コストコの出店を!!
コメント