夏に採れるきのこ

日本では梅雨の真っ直中にあり、各地で水に寄る災害が報じられている。その被害は甚大で、犠牲者も多く出ている。そして、今後も大雨の続く予想がされており、被害の拡大が心配される。その原因となるのが梅雨前線の停滞だが、そこへインド洋からの暖かく湿った空気がなだれ込んでいる事をテレビで言っていた。理論的な事は分からないが、これも地球温暖化による異常気象なのだろうか?

秋田県では大雨になっていないが、長雨になっている。去年は空梅雨で田植えを終えたばかりの田んぼに水が入らず、苗を植え替えたり田植えを断念した田んぼもあった。今年の冬は全国的に暖冬で積雪が少なかった。その影響だろうか、春先が寒く山菜の成育は異常であった。また、少雪からの夏の水不足が心配されたが、一応は解消されたのではないだろうか。しかし、何事も過剰というのはよろしくない。

長雨は農作物にも影響を与える。植物にとって水が供給される事は良いが、日照不足による成育が心配される。人は安全な場所に避難出来るが、植物は動く事が出来ないため自然の動向になるがままにしかならない。 そんな中、少し期待を持てる物にキノコがある。梅雨時に雨が多いと、秋の成育が良くなると感じる。

きのこは秋の物と思われがちだが、夏に生えるキノコもある。数種類のキノコしか判別出来ないので詳しい事は分からないが、食べられるキノコも存在する。その一つが「いぐぢ」と呼んでいるキノコです。

いぐぢの正式名称は「アミタケ」呼ばれるポピュラー的なキノコで、松林に群生して生えている。一般的には、9月頃からこのキノコ目当てで多くの人が山に入る。しかし、梅雨時に生える事は一般的にあまり知られていないと思う。多く発生しないためだろうか? 毎年ふらっと松林を覗いてみるが、遭遇する事は少ない。 今年は雨が多かったので、能代市の砂防林である「風の松原」に行ってみた。

入ってすぐの道端に「あわだけ」を見付けた。

正式名称は「ヌメリイグチ」。いぐぢと同じ仲間で、小さい物はいぐぢと間違う位に似ている。手の平位まで大きくなり、どこに行っても生えてるし数も多い。一応食べる事は出来るが、採る人が少ないためだろう。傘の裏がスポンジ状になっており、これが消化不良の元になっている。これを取り除けば、形も大きいため食べごたえのあるキノコだと思う。美味しいと聞くが、気持ちが悪いのでまだ食べた事はない。いぐぢの傘の裏は網目状になっており、この形からアミタケと名前が付いたのだろう。いぐぢも食べ過ぎると消化不良を起こすらしい。

中々目当てのいぐぢが見付からない。そうしている内「赤ぼっち」を見付けた。

図鑑を見たが、ハッキリ断言が出来なかったので正式名称は分からない。これもよく見るキノコで、これの近くにいぐぢが生えている事が多い。周辺を探すと、やはりいぐぢはあった。

赤く目立つので、いぐぢを探すには良い目安になる。これも食べる事が出来て美味しいと言うが、やはり気持ちが悪くて食べた事がない。

今回キノコ採りに入った風の松原は、前に熊が出没したと書いた所から数百メートル離れた場所にある。松林は秋になれば草が枯れて見通しが効くが、今は草がボウボウの藪状態になっている。熊は居ないと思うが、怖くて奥まで入る事が出来ない。そのため、道沿いにキノコを探して歩いた。 そんな時、

蛇!!! と、一瞬飛んだ。よく見ると、松の枯れ枝だった。本当にビビりで、 じぐなし なのだ。 結局この場所では、3〜4個の収穫だった。

風の松原には、秋でもいぐぢ目当てでキノコ採りに来る事はない。それなりに成育はしているようだが、「キンダケ」採りに来た時に少し採れるだけで、あまり期待する事は出来ない。 そんな中、能代衆は外地にいぐぢを求める。鹿角の尾去沢は有名で、地元の人よりも能代衆の方が多かったのではないだろうか。今ではあまり採れなくなり、地元民にとって能代衆は嫌われ者かもしれない。 10年位前からは、三種町の森岳がメッカになっている。たぶん、ここでも能代衆は嫌われ者になっていると思う。何が悪いかといえば、熊手の様な物で掘り返し根こそぎ採るためです。そういうやり方では、この場所も枯渇してしまう。 それでも秋にはまだ多く採る事が出来るので、ここだとそれなりに収穫出来るのでは? と思い、向かう事にした。

石倉山キャンプ場の駐車場に車を止める事になる。

一台も止まっていない。秋のシーズン中は、ここが満車になり路上駐車する車もある。しかし車は止まっておらず、人の影も見えない。誰も居ないという事はいぐぢを独り占め出来るという事だが、全然無いから人が来ないという可能性の方が高い。 とりあえず、松林に入ってみる事にした。

入って間もなく、いぐぢの群落を見付けた。四方を見渡すと、幾つかのいぐぢが見える。よしよしと思いながら、思わず興奮して来た。あまり期待してなかったので、小さな袋を持参した事が悔やまれた。しかし、喜びもつかの間、いぐぢがあったのはその一画のみであった。他の場所には小さないぐぢも見えなかった。 この状態を、どう分析すれば良いのだろう。すでにシーズンは終わり、採り残された部分が成長したのだろうか? 成育環境になく、その部分だけ環境が良かったのか? その部分だけ早く成長し、まだシーズンは早いのか? その日一日の事だけなので、それを知る事は出来ない。それ程遠い場所ではないが、ボウズは嫌なので秋のシーズンまで待つ事にする。

一家三人で食べるには少な過ぎる。

去年の秋に採った物を調理し冷凍した物があるので、これと混ぜて食べる事にした。

 

いぐぢ採りに行ったのは7月9日で、梅雨の中休みで天気が良かった。奇しくもその日は、1972年の中川原水害の日であった。その年は2日間にわたり梅雨前線が停滞し、米代川流域で568mmの降雨量に達していた。米代川支流でも豪雨があり、その水が米代川に流れ込んでいた。この事により二ツ井町の堤防が決壊し、二ツ井町の大部分が浸水・水没し孤立状態になった。その後、中川原の堤防が9日午後1時頃に決壊した。当時の水害統計によると、家屋の全壊流失・4,215戸、床上浸水・4,711戸、床下浸水・2,025戸、田畑の浸水・約8,290haという被害が出ている。

当時の自分は中学生で、7月8日に避難指示が出て、荷物をまとめ親戚の家に避難した事をよく覚えている。7月9日は快晴になり、これで危険は無くなった! と喜んでいた。そのため、堤防決壊の知らせを聞いた時にはとても驚いた。すぐに叔母さんと現場を見に行ったが、濁流の中に屋根がポツポツと見え、中には流されて行く家もあった。当時は木材会社も多く、積まれていた丸太が流れ出し家にぶつかる光景も見えた。幸い自分の家は玄関戸のガラスが割れただけで大きな損傷は無かったが、家の中は泥だらけであった。水位は、天井の下30cm位まで水が来ていた痕跡が残っていた。20年近く前に家をリフォームするまでは、その痕跡がまだ残っていた。

町内に当時の水害を思わせる痕跡は残っていないが、神社や自治会館には当時を思わせる看板が設置されてある。

堤防には、破堤した場所に石碑がある。 現在の堤防は、当時より嵩上げし幅も広くなった。九州の豪雨で1000mm超えの降水量を聞くと、当時の堤防はかなり脆弱だったのかなと思う。

その後、二度程危険な状況になったが水害には至らなかった。 長雨や豪雨になると不安で、水位を確かめに行きたくなる。 水害のニュースを見るたびに、当時の事が思い出される。

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