能代の木工技術

7月11日付けの北羽新報に「神代杉」の事が載っていた。

神代杉とは、長い間水中や土中に埋もれていた大昔の杉の事をいいます。それらが偶然掘り起こされた物が神代杉です。長い間埋もれていた事により、通常の杉とは違う色合いになっている。しかし、石炭の様な化石とは違い木の状態を保っているため、通常の木材と同じ加工が出来る。

  

今から約2500年ほど前に、鳥海山の雪崩によって埋もれた推定樹齢が約1500年の巨木です。その巨木は、当時の人達が石斧の様な物を使い伐採した痕跡が残っている。

  

いずれの写真も「秋三銘木」のホームページに載っていた物だが、同社で加工した「神代杉床天井板」です。

神代杉ではないが、二ツ井地内で掘り起こされた埋もれ木の杉が「道の駅・ふたつい」に展示されている。

樹齢は820〜850年で、958年に埋没したと推定されている。その時代は、平安時代中期にあたる。

今回の新聞に載っていたのは、神代杉で桶太鼓を作ったという事です。

愛知県岡崎市の「三浦太鼓店・六代目彌市」の方が、能代市の銘木製材会社「渡辺事業所」から神代杉の柾目板の提供を受け、2台の桶太鼓を完成させたそうです。神代杉は、工芸品や内装材・建具の材料などとして使われた事はあるが、太鼓として使われたのは初めてではないかと言う。

渡辺事業所の神代杉については、2018年10月23日付けの北羽新報に載っていた。

当時の記事によるとこの神代杉は、にかほ市で行われた圃場整備事業で造成工事の支障になるため掘り起こされた物だという。その数は大小約200本で、樹齢は推定200〜300年くらいとされている。同社ではこの神代杉を全て引き取り、テーブルやカウンター、建具の障子・組子細工などに使われて捨てる所はないという。

能代の役七夕で使われている太鼓も桶太鼓です。能代は昔から木材加工が盛んで、豊富で良質の材木が多かったため桶樽職人もたくさんいた。しかし現在では桶樽の需要がほとんどなくなり、1〜2軒の桶樽屋があるのみです。能代市の桶樽職人・(故)五十嵐修さんの作った桶胴が三浦さんの理想型であるという。夫が亡くなった後に奥さんから、五十嵐さんの技術の継承を三浦さんは受けていた。そういった関係から、渡辺事業所の神代杉を紹介し桶太鼓の製作が始まった様です。 三浦さんのツイッターにもこの件が書かれている。そして、

  

五十嵐さんの家に眠る「天然秋田杉」を使って作った太鼓が、役七夕へ奉納したと書かれている。

秋田で生産される杉には「秋田杉」と「天然秋田杉」がある。人の手で育てられた人工林から伐採された物が秋田杉で、間伐などを行っているため成長が早く平均生産樹齢は50年くらいだという。一方自然の中で育った物が天然秋田杉で、成長が遅い反面、老木になっても成長を続けるために、年輪の幅が狭く木目の美しい木材になる。樹齢は200〜250年くらいになる。 天然秋田杉は2012年から伐採が禁止され、値段も高騰している。現在は、高齢級人工林の伐期を150年とし、天然秋田杉の代替えとする計画になっている。秋田県内の天然秋田杉でも、米代川流域の物が最も質の高い物として評価されている。昔から米代川を利用して、伐採された天然秋田杉が能代に集まった。良質な杉を加工する事によって、高級材木や加工技術も進化した。やがて北前船などで全国に販路が広まり、能代は「木都」として栄える事になった。

渡辺事業所では銘木やそれを使った製品を生産しているが、木材を特殊加工した製品も生産している事が数年前の新聞に載っていた。

写真の製品は「円筒LVL」という物で、約20年前に能代市にある秋田県立大学木材高度加工研究所(以下、木高研)が開発し、渡辺事業所に技術移転された物です。

    

円筒LVLとは、木材にスリットして板状にした物を、ミシンで縫って長い巻物にします。それを何層にも巻き進めて行くが、一層ごとに巻き進む方向を変えているので単板の繊維方向が交錯し、中空ながら従来の柱材と同等の弾性率と強度を持っている。理論上は、どんなに大きな直径の物でも製造が出来る。 と、HPに書かれていた。つまり、丸太を製材した端材や細い丸太からでも、太い丸太と変わらない強度の丸太を作る事が出来るという事だろうか。

先の写真の丸い円筒の壁は、2018年4月にオープンした「道の駅・おおゆ」で使われている物です。柱としての本来の使われ方でなく、壁材や飾り棚としても利用出来るという新しい使い方であった。これを考えたのは「隅研吾」さんで、新国立競技場を設計した建築家です。隅さんが道の駅・おおゆの設計を引き受けた事で、何か面白い素材を探している時に木高研に立ち寄ったという事です。その時に円筒LVLを見付け、道の駅・おおゆに採用された。新しい発想は想定外の使われ方で、幾つかの強度実験をして新利用法が生まれたそうです。 ちなみに、能代駅前に円筒LVLを使ったモニュメントが設置してある。

他にも利用されているかもしれないが、誰もが目に出来る物としてはこれしか知らない。

隅研吾さんの設計した新国立競技場には、木材が多く使われている。国産材で組み上げられたドーナッツ型の屋根が特徴的で、その他にも47都道府県の木材が使用されている。その中には、能代からの製品も使われた。

能代市の建具メーカー「大栄木工」が手掛けた物で、地上2階部分のVIPゾーンにこの障子が使われた。この障子は一般的な家屋に使われる障子の5倍以上あり、外の景色を望む窓に240mにわたって126枚の障子が設置された。材料は、上小阿仁村の村有林から切り出された樹齢80〜100年ほどの秋田杉で、製材・乾燥は能代山本の業者によって行われた。部材の組合せ箇所の多くは手作業が求められ、製造には一年を要したという。 大栄木工ではこの様な特殊な製品を多く手掛け、著名な建物や寺院などに建具を納入してきた。ずいぶん前の記憶になるが、木製の防火扉もあったと思う。特殊加工する事によって、鉄の様な剛性と燃えにくい材料になった。その防火扉は鉄製よりも軽く、見栄えの良い物になった。 それらの応用は、藤里町にある坊中橋という木橋にも使われたのではないだろうか。木高研では、森林資源と活用した有効な活用法を各分野に提供している。

 

「木都・能代」と能代衆は自負するが、過去の栄華にすがっていてはダメだと自分は感じる。唯一、他と差別化出来る物に天然秋田杉があったが、すでに伐採が禁止され在庫のある分を消費していかなければならない。そのため市場価格は高騰し、一般的な物には使う事が出来なくなる。高級銘木を扱っていれば箔が付く様に感じるが、それだけでは業績がしぼむばかりだ。それが原因かは分からないが、2〜3年の内に数軒の銘木会社が倒産した。 木都・能代として進むならば、高級材・一般材・特殊加工材などのバランスを取り、他との差別化や付加価値を付けた製品を作り続けなければ、能代の衰退は止まらないと自分は感じる。

 

 

 

 

 

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