青森の清志郎

先日、青森県で忌野清志郎さんのコピーをしている方の事がテレビで放映された。
忌野清志郎さんは、1968年に「RCサクセション」を結成。 2009年5月2日に「ガン性リンパ管症」で亡くなった。 RCサクセション結成当時は、フォークバンドの様な活動をしていた。自分が中学校時代にギター少年であった頃からRCサクセションの存在は知っていたが、吉田拓郎・井上陽水等のコピーに夢中でRCサクセションの事は眼中に無かった。それでも「僕の好きな先生」だけは聴いた事があった。 その後、デヴィット・ボウイ等のグラムロック・パンクファッションの影響からか、奇抜なかっこうをする様になってからは嫌悪感が生まれた。 そのため、忌野清志郎さんの楽曲は聴くことが無かった。亡くなってテレビ等で多く取り上げられていたが、さほど気にも止めていなかった。

青森の清志郎 と呼ばれ、忌野清志郎さんのコピーを主に行っている方は 今井治 さんです。 今井治さんのホームページによると、
同級生がRCサクセションのコピーバンドを結成し、キーボードを担当してました。 バンド仲間から借りたRCサクセションのライブを聴き、清志郎さんのボーカルに憧れた。 その後、ボーカルをやりたいとメンバーに頼んだが、歌唱力がなく却下された。
青森にRCサクセションが来て、清志郎さんのパフォーマンスを目の当たりにし、清志郎さんのステージに憧れ、清志郎さんの様にかっこ良く歌いたいという思いが強くなった。
「上達するにはとにかく練習」と思い歌の練習を続けて来たが、社会人になってストリートをやる様になってからは、さらに練習をする様になった。以前は自分の声で楽曲を歌っていたが、清志郎さんが亡くなってからは、出来るだけ清志郎さんに近づきたいと思って歌う様になった。その後、清志郎さんの音楽をしっかり歌いたいと思い、RCサクセションのコピーバンド ニコニコサクセション を結成した。

2011年の東日本大震災があってからは、チャリティでの演奏にも力を入れ、コンパクトに演奏ができ「家族で音楽を楽しもう」というコンセプトで IMAI FAMILY を結成した。


番組の中で言っていた。
忌野清志郎さんは、標準語のイントネーションにこだわり、促音を強調し日本語のメリハリを強調する発声法を続けてきた。そのためイントネーションがおかしくなった場合は、メロディ修正してでもイントネーションを正しくしていた事を知った。

番組中では、今井さんと娘さんのインタビューがあった。 娘さんは津軽弁丸出しなのに対し、今井さんは標準語で話をしていた。 きだふり って思っていたが、忌野清志郎さんのコピーを行う上では必要なんだなと感じた。たぶん、日頃から標準語を使う様に心掛けているのではないだろうか。忌野清志郎さんの完全コピーを目指す上で、標準語のイントネーションや歌唱力の向上や発声にも努めていただろうし、衣装も忌野清志郎さんの衣装を作っていた所に依頼したようです。その衣装を作っている所が青森にあり、「トップテーラー」という縫製工場だと知った。

番組内では、今井さんの姿勢に感銘を受けて、RCサクセションのサポートメンバーでサックス奏者の「梅津和時」さんとのセッションライブも行われた。 今井さんにとっては、夢の様な出来事であったのではないだろうか。

忌野清志郎さんの影響を受けて日本語をハッキリ歌うロックミュージシャンもいるが、日本のロックミュージシャンは、舌を回して日本語を英語の様に聞かせる舌足らずな歌い方(表現の仕方が分からない)をするミュージシャンが多い様に思う。歌っている本人の気持ちは分からないが、自分は嫌悪感を持っている。

RCサクセションは、1〜2曲のみ聴いた事がある程度でほぼ皆無の状態です。
1988年に 「COVERS] というアルバムが発表された。発売に際し東芝EMIとトラブルになったというアルバムだが、名盤らしい。 その内に、手に入れようと思っている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました