1月20日は大寒であったが、一般的に「大寒から立春」までの2週間が一年で一番寒い時期とされている。 日本で一番寒かったのは、1902年(明治35年)1月25日に北海道旭川市でー41.0℃の記録がある。二位は、同年1月26日に北海道帯広市でー38.2℃が記録された。記録的寒さであった1902年1月25日は、青森県で「八甲田山雪中行軍遭難事件」が起きている。
八甲田山雪中行軍遭難事件とは、日本陸軍第8師団・歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件の事で、この訓練に参加した210名中199名の方が死亡したという事故の事です。この事故は、日本の冬季軍事訓練で最も多くの死傷者を出した事故であるとともに、近代登山史における世界最大級の山岳遭難事故であったとされている。 この訓練は厳寒の対ロシアに向けての訓練であったが、この二年後には日露戦争が勃発している。日露戦争では、この訓練での成果が何か得られたのだろうか? でないと、亡くなられた方の名誉が報われない。
この事件を題材としたものが、新田次郎さんによって「八甲田山死の彷徨」という小説になった。そしてそれを映画化されたものが、高倉健・北大路欣也 W主演の「八甲田山」として作られた。
また、小笠原狐酒さんによって書かれた「吹雪の惨劇」では、1ページを2段に分けて「青森歩兵第5連隊」と「弘前歩兵第31連隊」の行動が時系列につづられている。
この雪中行軍遭難事件では多数の方が亡くなられたが、少数の生存者も存在している。
しかし、ほぼ全員が凍傷により手足を失う事になった。
ちなみに、行軍計画の立案者で部隊の指揮を執っていたのは「歩兵大尉・神成文吉」で、能代市の隣の鷹巣町(現・北秋田市)出身の方です。そのため、この事件には特に興味を持った。この原稿を書いている最中にも「映画・八甲田山」が見たくなり、中々筆が進まない。実録を見てから映画を見ると、かなり脚色されている感じがする。 八甲田山の麓にある酸ヶ湯温泉は、2013年2月26日に一日で566cmの雪が降った豪雪地で、この記録は観測史上で一位だそうです。 大幅に脇道へ逸れたので本題に戻ります。
去年の12月中頃に寒波が襲来し、関越道では2000台以上の車が52時間に及ぶ立ち往生になった。正月寒波では秋田県でも大雪になり、横手市では2m近くの積雪になり農業被害や除雪の事故が多く発生した。1月7日には能代市で35.3mの観測史上一位となる強風が吹き、広域で停電が発生し全面復旧まで27時間近く掛かった。今季は最大級の寒波が次々と襲来したため、大寒の天気はどうなるのだろう! と心配した。しかし、この冬の嵐の後で一時的に寒気が入り込んで来たが、その後は比較的暖かい日が続き、雨が降るなどして積雪はほぼ0cmになった。
1月21日以降は気温も上がり、4〜5日間は日が長く差す時間が続き春の気配さえも感じた。ただ、放射冷却により朝の気温が下がり、日中との温度差の大きい日が続いた。
朝は霜が下りていた。太平洋側では珍しい事ではないかもしれないが、厳冬期の日本海側では雪が積もっているため霜を見る事は珍しい。
空気が澄んでいるため、白神の山々が一望出来る。 一番左にある山が「白神岳」で、白く雪に覆われている。白神山地も雪深い所で、この雪とブナ林によって天然のダムが形成される。 しかし・・・・・
これは、7号線の白神山地を一望できる場所に設置されている看板だが、上記の写真と比べ山々に雪が少ない様に感じる。一番右側(赤丸印)にあるのが「藤駒」だが、例年は雪解けによって藤駒の山腹に駒形が表れる。それが見えた時が、丁度農作業を始める目安とされている。 今年は表れるのだろうか? と感じた。
毎年夏になると、ダムが枯渇するというニュースを見聞きする事がある。去年の12月には、千葉県でその影響による節水というニュースが流れていた。給水車でダムに水を補給していたが、丁度群馬では2m以上の積雪がありその雪をダムに捨てられないだろうか?と思っていた。 白神山地の麓にある素波里ダムでも、節水とまではいかないにしても貯水量は減っている様に感じる。山麓では2m位の積雪と聞いて今年は雪が多いのかな?と思ったけど、山では絶対量が降っていないのかもしれない。
この辺では、ダムの枯渇による節水という騒ぎにはならないだろう。 40年位前に川の水量が減り、海水が逆流して水道の取水口に海水が混入した事があった。しかし、それ以降は水が使えないという事は無かった様に思う。 現実問題として、山に雪が少ないと山菜の成育が悪いとされている。 今年の山菜はどうなんだろうなぁ〜 という心配がある。
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