中学校の恩師

恩師とは、辞書によれば「教えを受けた、恩のある先生」とある。一般的には、先生=恩師と呼ばれるのではないだろうか。恩とは感じないまでも、好きな先生はいたと思う。それは感情的にではなく、得意分野を伸ばしてくれたり、自分では意識をしてない事を引き出してくれたり、苦手を克服させてくれたりなどして導いてくれる先生を好きになると思う。特に小・中学生では、どのように進むという事を考えている方は少ないを思う。三年生の担任になった場合にはその生徒の人生の分岐点に関係する事もあり、その役割は大きいかもしれない。それをうまく導いてくれる先生が、良い先生だと思う。 反面、挫折を受けるのも先生だと思う。その挫折を克服出来ればいいのだけれども、それが苦手意識となった時、小・中学生の場合では特に先に進めず落ちこぼれになるのではないだろうか。

小学生の頃、書いていた絵が褒められ、それが自信となって賞がとれた事。
中学生の頃、アイデアが認められた事。
担任教師の担当科目が得意になった事。
高校生の頃、君なら出来るとおだてられ得意科目になった事。実際その教師は、万年ビリの野球部を甲子園に連れていった。
そういった資質を持った先生ばかりであればいいが、また一般社会の上司にも全てが恵まれるものではないと感じている。

中学の頃、自分達のクラスのまとまりが良い! と、別のクラスの友人に言われた。それは、担任教師による事もあるが、たまたまクラス替えで集まった生徒達と先生の相性もあるのではないかと思う。 たまたま、それが自分達のクラスに合ったのかな? って思っている。この繋がりが現在も続いていて、毎年先生を招待して同級会を開いている。

その担任教師が、先日亡くなり葬儀に参列しました。 その時に感じた事で、自分達にしてみれば自分達の先生と思うのですが、先生にしてみれば教員生活数十年の中の一年間ではないのかな? って感じる事でした。たぶん生涯で、数百人もしくは千人以上の生徒に携わって来たと思う。色々のクラス、色々の学校、色々の先生との繋がり。クラス毎に色々やってきた事もあっただろうし、学校毎に色々やってきた事もあったと思う。別の学校ではサークルの様な会を立ち上げ、その会が退職後も現在まで存続している事。また、校長になってからの仕事等。その全ての事が先生の成長につながり、自分達はその過程の一部であったと感じた。 来年は節目の同級会なので、今回こそは出席しようかと思っていた。果たして、先生は自分の事は覚えていてくれてただろうか? と思った。

中学校時代は嫌な事もあったが、楽しい事もあった。たぶん、小・中・高の中で一番色々な経験をしたのが中学校の時で、この時に悔いを残した事が人生に大きく関わったかもしれない。

ニックネームのヤスというのは、名前から取られた「康」に由来する。中学生の時に同級生から呼ばれて以来、今日まで呼ばれ続けられている。このニックネームで呼ぶのは、中学の時から付き合っている友人のみである。それ以来、ニックネームを付けられた事がなく、ず〜と苗字で呼ばれていた。何か、取っ付きにくい性格だったのかね?

テレビで、「優しい」という言葉に関して気になる事を言っていた。 優しいとは
親切で思いやりがあること。性格が素直でおとなしいこと。語源は 「痩す」(やす)が形容詞化したものらしい。その痩すとは、恥ずかしく思う気持ちから周囲の人に対して控えめにふるまうさまを優雅、優美であるとして評価するようになり、やがて、心遣いが細やかで思いやりがあるという意味に変化していった。
(由来・語源辞典より)
その様な事から 「痩す」が「優しい」に変化していった様である。テレビでもその様な説明をしていたが、単に「やす」という言葉が気になったのである。

自分は身体・性格が「」と見られる事が多く、A型であると聞くと驚く人が多い。性格は、仕事によって作られるものもあると思う。本当は、かなり無口で細やかだと思っている。「」という字には、「やまいだれ」がついている。やせ細っている人は、病気持ちのイメージがあったのかもしれない。しかし現代は「太」に「やまいだれ」を付けた方が合っていると思う。その場合、何と読まさるのかな? 一文字で「でぶ」?
ニックネームを 痩す に改名しようかな。

卒業の際、自分の色紙に書かれていた先生の自筆。
「◯◯、無口な男は信じられる 自信を持って進め」
暖かい言葉です。
そう感じれることが、恩師だと思います。

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