河畔公園の完成と防災

能代河畔公園整備事業が、年度末である3月末で完了した。1979年から計画された事業で、40年を費やし完成した事になる。


河畔公園の辺りは、かつて材木町通りと呼ばれ多くの木材会社が建っていた。古くから米代川河口は港町として栄え、港への交通の便を考え木材会社が立ち並んだ。この辺りは、言わば能代が繁栄した場所で能代の象徴と言える場所です。 戦中は、幻とされる「木造軍用船」を製造していた松下造船(現パナソニック)もこの公園の敷地にあった。しかし、陸運の発達により水運の必要性がなくなり、木材団地や広い敷地を求めて郊外へ移転していった。また、木材不況等により廃業した工場も多くあった。1979年当時の市長が、この木材工場の跡地を能代の象徴的な広場にしようと思い公園の整備が進んだとされている。

公園整備計画では、周辺に市民プール・子ども館・総合体育館が建てられてきた。少しづつ芝生等で公園を整備しながら、3年前に大型遊具施設が完成した。


最後に一棟だけ残っていた工場が更地にされ全面芝生公園となり、最後にトイレが整備され、総工費85億円余をかけ河畔公園事業が完了した。


完工に合わせたかの様に、グランドゴルフ大会が開催されていた。

河畔公園は名前通り、米代川の河口付近に位置する。


公園のすぐ横には川がある。この川は、かつて米代川で運ばれて来たイカダを通して木材工場に丸太を運んだ川です。この川が天然モノか人工モノか分からないが、米代川本流は写真奥の堤防の向こう側です。

1983年に能代沖を震源とする日本海中部地震があり津波が発生し、能代港では港湾関係者35名が津波被害の犠牲になった。そして、津波は川を遡上した。


河畔公園の横の川を津波が遡上している写真で、位置的に丁度河畔公園の辺りと思います。河畔公園には万が一の時に危ない一面もある。


避難案内の看板が立てられている。公園全体に、10ヶ所設置されているという。しかし、この看板には問題がある様に感じる。避難場所を能代公園に指定しているが、能代公園までは1km近くあると思う。能代公園に向かう出口には案内板があり地図もあるが、小路に入ると公園まで何も案内板がない。地元の人は分かると思うが、他方から来た人には避難が難しい様に感じる。しかも海に向かって避難をする事になるため、判断には難しい選択になると思う。 100m程先にコメリが建っている。この屋上に避難した方が安全な様に感じる。ただ、民間の建物を市では指定が出来ないだろう。だとしたら、近くにある総合体育館を指定しても良いのではないだろうか? ただ、三陸クラスの津波が押し寄せた場合には、コメリも総合体育館も安全ではないかもしれない。そういう意味では、能代公園の高さは十分にある。 能代は地形的に、三陸クラスの津波は発生しないと思う。

最後に取り壊された木材工場には、赤レンガで作られた倉庫の様な物が去年まであった。


いつの時代の物か分からないが、この公園を能代の象徴の場と考えるならば、この赤レンガの建物を何かしらに活用出来なかっただろうか。古い建物であるからそれなりに費用も掛かると思うが、何かもったいない様な気がした。
かつてこの地が能代の繁栄に重要な場所であったという痕跡が、この公園にはどこにも残っていない様に感じる。

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