地獄の一本道

爆弾低気圧により北海道では大荒れの天気になり、北の日本海側でも風雪の天気になった。 暖冬予想ではあったが、去年より雪かきの回数も時間も多い。どか雪とまではいかないが、20cm位積もった日もあった。20cm程の降雪であればさほど交通に支障を感じないが、それ以上の降雪になれば除雪をしないと車を出す事も出来なくなる。30cm以上の降雪は数年に何度かしかなく、どか雪になった事は数回しか記憶にない。自分が子供の頃は、もっと雪が深かったと思う。昔より雪の降る量は減ったのだろうか?
ただ、子供の頃の記憶なので、身長が低かったためにそう感じたのかもしれない。

幼稚園から小学生の頃、通学路には泣きたくなる位に辛い「地獄の一本道」があった。


何の変哲もない直線道路です。

この撮影場所から橋までの2〜300mが特に辛かった。写真には建物が色々写っているが、当時この辺りは秋木のグランドがあり両側に何もない吹きさらしの荒地であった。冬になると、北寄りの風が正面から幼い体に突き刺さり、その風力は息が出来ない程であった。そのため正面を向いて歩く事が出来ず、後ろ向きになり背中に風を受けながら歩いた。橋まであと少しと思いながら歩き、橋にたどり着くと峠を越えた感じがした。橋から踏切まで100m程あるが、ここからは少し風が弱まり、踏切を越え「マチ」に入るとようやく安堵する。年に何度かしかなかったと思うが、本当に辛かった。

自分の住んでいる場所は駅裏で市街地の一画であると思うが、なぜか富町から先を「マチ」と呼んだ。鉄筋の高い建物はなく、工場と農地しかなかった。店は小さななんでも屋しかなく、富町より先の市街地は「マチ」に見えたのかも知れない。何より駄菓子屋は魅力的で、駅前には「みつまる」というデパートもあった。

「はじめてのおつかい」という番組がある。自分も小さい頃に「マチ」へ買物に行かされた。その時は、この直線道路を通る事になる。そこには自分にとって強敵がいた。昔は野良犬が普通にいて、その野良犬が自分の行く手を阻むのである。遠くに犬を発見すると、この道を大きく迂回したり荒地を通って犬と遭遇しない様にして通過した。自分が弱虫だった事もあるが、小さな体には犬はとても大きく見え怖い存在だった。

現在は大きなアパートも建ち、役所も結婚式場も建った。工場も増え、団地が出来てインフラの整備も進んだ。しかし一軒あった商店は廃業し、バスに乗るには15分程歩いて駅前まで行かなければならない。発展している様に見えて、能代の行き止まりという感じは変わらない。生活のしやすさは、昔と変わらず良いとは思えない。

朝から雪かきをした。
人の声ひとつ聞こえない。
聞こえて来るのは、工場の音と工場からの館内放送の声だけだ。

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