青秋林道問題と世界遺産

白神山地は、1993年に世界自然遺産に登録された。
白神は、人の影響を受けないブナの原生林が世界最大級である事が理由です。

中心部の核心地域(緑色部分)・周辺の緩衝地域(青色部分)に分かれ、これらの地域は開発を行わず現状のまま保護される事になった。

青森県鰺ヶ沢町には赤石マタギの集落がある。登録前後に禁猟区に指定されたため、伝統のマタギ文化が失われる事に是非がある。 白神のブナ林が現在に至るまで保全されたのは、山奥深く自然環境が厳しくて開発されなかった事もあるが、ブナが建材としては利用価値がなかった事があります。ブナの木は保水力が強く、ブナ林は森のダムと言われています。 水分量の多いブナの木は腐りやすく、製材しても乾燥してくると曲がるなど建材としては不向きであった。

秋田県は杉が豊富で、昔から良質の杉が生産されてきた。 伐採された杉は米代川を下り、その河口にある能代市で加工されていた。能代には東洋一と言われた「秋木」があり、製材工場やそれに関連する会社がたくさんあって木都として栄えた。しかし、豊富な秋田杉も無尽蔵ではなく植林をしていく必要があった。そこで無用なブナ林を伐採し、利用価値の高い杉を植林していく事になる。それは秋田県に限らず、全国的な事ではなかっただろうか。
ブナ等の広葉樹を失った山は保水力を失い、雨が降るとすぐに川が増水し氾濫する。また夏場に雨が少ないと、広葉樹から水が放出されないためダムが空になる。 1958年以来の林野庁の「拡大造林政策」により、杉の植林が拡大されていく事になる。当時は戦後復興のため大量の木材が必要となり、高度成長期にあたりマイホームなどに木材が必要とされたのだろう。 現在は外材などの安い木材が輸入されているが、当時は輸入品が高く木材も国産の方が安かったと思う。

杉の植林地を開拓していく中で 青秋林道 を作る考えは持っていた様です。1978年に「青秋県境奥地開発林道開設促進期成同盟会」(野呂田芳成会長)が結成された。野呂田さんは自民党の建設族に含まれる方で、林業促進のための道路であるが、土建屋のために尽力をした様にも感じる。 野呂田さんの地盤は、この間当選した金田さんが引き継いだ。

1982年の4月に林野庁が林道事業の実施計画を承認し、8月から 青秋林道 が着工された。青秋林道は青森県西目屋村を起点とし、秋田県八森町は至る総延長29.6kmの民有林林道です。1992年頃に完成予定で、総工費は31億1700万円。

当初計画では、八森町から二ッ森南面の粕毛川源流ルートであったが、藤里町住民からの反対運動があり二ッ森北面の赤石川源流ルートに変更された。実施計画が承認された直後に秋田県の自然保護団体が反対運動を起こし、着工から3年後位にルートが変更された。その結果 青森県側の反対運動が強くなり、青森県知事が青森県側の開発の中止を決定した。 そのころ秋田県側では工事を中止をする意思はなく、県境の二ツ森まで工事が進められていた。1990年に青秋林道建設の打ち切りが確定し、その3年後に白神山地が世界遺産に登録された。

青秋林道の中止決定は、秋田・青森両県の自然保護団体の働きによるものに見えるが、青森県側の反対運動が特に強かった。むしろ秋田県は、一部で反対運動が起こっただけで推進勢力の方が強かった。 そのため世界遺産の4分の1は秋田県の藤里町にあるが、4分の3は青森県側に登録されている。

青秋林道が中止された直後だったか世界遺産に登録された後だったか忘れたが、青秋林道に行って来た事があった。 入り口にゲートがあり、守衛が付いて簡単には入る事が出来ない様になっていた。その事務所に「秋木」という字を見た様な記憶がある。 民有林の林道だったから、秋木が主導で開発をしていたかもしれない。 白神周辺の土地を秋木が所有していたのか? 戦中・戦後復興の国策で、秋木に払い下げられたのか? 記憶も曖昧の中調べてみたが資料は見付からなかったので、自分の見当違いだったかもしれない。しかし、自分はそう思っていた。 奥地開発は林産業者と建設業者が一体となって開発を推し進め、秋田県は自然保護の考えもなく開発を促進していた。

平成の大合併では、能代市・二ツ井町・八森町・琴丘町・八竜町・山本町・峰浜村が合併し 白神市 にしようという計画があった。 しかし肝心の藤里町が離脱している事や、白神が元々青森の地名である事・合併する町が白神に含まれてない事などの理由から、青森県側の猛反発に合い白神市の計画はなくなった。
青秋林道問題の事をじっくり考えてみると、そもそも秋田県では藤里町以外で 白神 というネーミングを使ってはいけない様な気がする。

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